読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1995年2月発行 広報よみたん / 3頁

【見出し】悲惨な戦争の歴史を追体験-第7回読谷村平和創造展-

 沖縄戦終結五十周年の年を前に、もう一度被害者と加害者、双方の視点から「戦争と平和」について考えてみたい-と、十二月八日~十五日の日程で「第七回読谷村平和創造展」(読谷村主催)が中央公民館ホールで開かれた。
 ”平和郷はみんなの手で”をスローガンに毎年開かれている平和創造展は、国際的な視野に立ったとき、私たち沖縄県民も含めた日本人は加害者でもあったことを忘れてはならないと、第四回平和創造展での中国侵略の実相を伝える展示品に、人々の記憶からぬぐい去ることのできない戦争の惨禍の状況を伝える数多くの写真パネルや遺品類が展示された。又、今回の創造展には沖縄県が戦後五〇年の記念事業として取り組んでいる「平和の礎」戦没者刻銘事業の読谷村における調査結果をまとめた「読谷村全戦没者名簿」が発刊され、会場を訪れた参観者らに配布された。
 期間中に県内外から訪れた人々は約七百人。多くの老若男女が平和創造展を通して過去の悲惨な歴史を追体験し、改めて平和の尊さや重要性を認識していた。
 平和創造展の初日に行われたオープニングセレモニーでは、多くの関係者らが参加する中、主催者を代表してあいさつに立った山内村長は「戦後五〇年を前に、県では戦没者の実数調査を行い平和の礎の事業を展開している。本村でも三八一〇人の犠牲者があった」と話した上、「ヨーロッパなどでは戦争の反省をしているが日本はその意識が低い。第二次大戦で日本は加害者でもあり被害者でもあるが、加害者意識が欠如しており心を整理する必要がある。村民の意識を高めることも行政の仕事、戦争のことをきちっと整理する必要がある」と強調した。

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