身体障害者・・・・・・・・・・という言葉を聞いて、みなさんはどのような印象を受けるでしょうか?。つい遠ざけてしまいがちなのでしょうか?
私の母は身体障害者です。右足が不自由で、松葉杖がなくては歩けませんし、歩装具がなくては立つことすらできません。日常の生活の中で不自由な活動をしいられる、そのような生活をあなたは実感できますか?私達は、自由に立つことも座ることも飛び跳ねることも、またうれしい時には体全体で感情を表現することもできます。そのような私達健常者にとって当たり前の事が母にはできません。もっとも生まれた時からそうだったのではありません。母だって幼い頃は近所の悪ガキ達に混じって精一杯手足を使い元気に遊んでいたのです。しかし、母が高校に進学し、将来に向かって夢や希望もふくらむ青春期。突然の事故で右足の自由がきかなくなる・・・・・・・・・・という出来事がありました。悪夢としか言いようがありません。かつて、運動神経がとびぬけてバツグンで、体育祭や運動会などで引っ張りダコだった母の姿は、グラウンドから消えてしまいました。青春の夢ふくらむまっただ中、「体育教師か音楽教師になりたい」という希望までもが、あっという間に打ち砕かれ、もはや叶わぬ夢物語へと化してしまいました。こんなとき、あなただったらどうしますか?元気で活動的だっただけに、ただただ絶望して
「もういやだ。死にたい・・・・・・」と思うのではないでしょうか?私だってそう思います。でも母は、決してくじけたり泣き事を言ったりしませんでした。身障者というハンディを背負いつつも、大都会東京に上京し、昼間は働き、夜は定時制の高校へ、そして高校を卒業すると、今度は針灸師になるために針灸専門学校へ。とても多忙な毎日だったと思います。その頃の事を母に尋ねると、「楽しかったよ。高校にはもう50を過ぎた人もいたし・・・・・・」。と本当に楽しそうに、そしてなつかしそうに話してくれます。でもそんな母の歩んできた道にも数々の大きなカベが立ちはだかっていたことでしょう。それでも明るく話す母をみて、「お母さんって強いな。私も負けてなんかいられない」と競争心がわいてきます。母の瞳には、和しをそういう気持ちにさせる魔力があるのでしょうか。いつのまにか母のペースにのせられてしまう自分自身にふと問いかけてしまいます。様々な苦労を乗り越え、難関を突破してきた人が自分の手で幸せをつかんだ時、その人の瞳には、言葉では言い尽くせない人間的な大きな魅力が宿るかもしれません。
私には、母から教えられた事がたくさんあります。本を読むことの楽しさ、おもしろさ、他人への思いやり、日々の生活の中で辛抱する事の大切さ。まだまだ数えきれないくらいたくさんあります。私の夢への挑戦を励ましてくれるのも母です。母は今、父と共に針灸師として働いています。幼い頃から両親の仕事を見て育ってきた私は、「私も、お父さんやお母さんのように、人に役立つ仕事をしたい」といつしか思い始め、今の目標は針灸師になることです。そのためにも、今をできるだけ精いっぱい努力するようにしています。
身体障害者というハンディを背負いながらも、私達姉妹三人を育ててきてくれた母。どんなに感謝しても足りません。私は、母の生き方から自分の生き方まで教えられたような気がします。
「お母さん、反抗ばかりして、言うことをきかない娘でごめんなさい。これからもよろしくお願いします。そして、ありがとう」。