読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1995年5月発行 広報よみたん / 4頁

【見出し】捨てられた空缶から 環境美化作文コンクール最高賞受賞作品 山内亮子(古堅中三年)

 私は学級で十月の後半に行われる学習発表会に縦十二㌢、横七㌢の空き缶を縦に六十一個、横に一〇二個余りの空き缶を針金でつるし、壁画を造ることになりました。そこで、私たちは空缶を集め始めました。休みの日も返上して、道に捨てられた缶を拾ったり、ゴミ箱に手をつっこんだりして集めました。
 そんなことをしているうちに、私は、今まで見向きもしなかった”道に捨てられた空缶””ゴミ箱の使い方”等に気づくようになりました。ゴミ箱が二つ置かれていて一つは燃えるゴミ、もう一つは燃えないゴミ、普通なら、燃えないゴミの方だけを探せばいいはずなのに燃えるゴミの方からも空缶が出てくるのです。ということは、きちんとゴミの分別がされていない・・・ということなのです。しかし、分別がされていなくても、まだゴミ箱に入れられているものは、まだいいほうなのかもしれない。と思えるのが、とても不思議でなんだか悲しく思えるのです。
 学活や放課後を利用して空缶を集めるとき、学校の周辺を一時間も回れば袋いっぱいの缶が集まってしまうほど沢山の缶が道端に捨てられているのです。正直なところ空缶を集めている私達にとっては、ただ道を歩くだけで缶が集まるということはとてもたすかることではあるのだけれど、この空缶に誰も見向きもしなくなってしまったらどうなるのでしょうか。ゴミがあればゴミ箱に捨てる、捨てる時にも燃えるゴミと燃えないゴミを分けて捨てるようにされている時は、分けて捨てる。あたりまえのことがあたりまえにされていない、それだけではなく、なぜか車内からゴミが外へ投げ出される、あたかもそれがあたりまえであるかのように行っている人がとても多いのです。”ポイ捨て”に対して無関心になりつつある中で村をきれいにしようと一生懸命頑張っている人がいることにも気づいてほしいのです。何げなく捨てられたゴミ、それを拾い、かたづけている人がいる。誰が見ていようと、見ていまいと、少しでもきれいにしようと努力している人がいるのです。
 観光地として発展しつつある読谷村は、村民に「ポイ捨て禁止条例」を発令しました。観光地として発展していく中で美しい村づくりに力を入れ初めたのです。この条例の中に三万円以下の罰金という項目がありますが、この項目は一体、何を意味しているのでしょうか。人が見ていないからゴミを捨てる、人が見ているからゴミを捨てない、罰金があるからゴミを捨てない、というようなことではなく、自分達の村だからゴミを捨てずにきれいな村にしていこう、そんな意味が込められているのではないでしょうか。空缶集めをする前の私だったら、条例をつくっておきながら、なぜ取締りを行わないのか、もっと罰金を増やせばよいのではないか、と思ったかもしれません。けれど、今はお金を取ることや、強制的にゴミを減らすということに意味があるのではなく、「条例」というものをきっかけにして、ほんの少しでも「ポイ捨て」はいけない、と心にとめて”ポイ捨て”をしないようにする。それが本当の「ポイ捨て禁止条例の意味」なのではないのでしょうか。と私は思うのです。
 これからの読谷村に、一人もい”ポイ捨て”をする人がいなくなるくらいに一人一人が気をつけていかなければならない最も大切なことだと私は思います。

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