読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1995年6月発行 広報よみたん / 2頁

【見出し】戦争の悲惨さを後世に伝えよう「読谷村不戦・平和の式典」を挙行 「記念事業実行委員会」を結成

 沖縄戦終結50周年を迎え、本村では読谷村議会や読谷村の共同提案による「不戦宣言」が決議(三月三十日)されました。

「記念事業実行委員会」を結成

 四月十九日には村や議会、区長会、農協、漁協、商工会及び青年会や婦人会、老人会などの各種団体を網羅した「読谷村・沖縄戦終結50周年記念事業実行委員会」(村長・山内徳信委員長)を発足させ、要綱を承認するとともに、記念事業の取り組みを確認。その事業のスタートとして実行委員会では四月二十八日午後、村総合福祉センターにおいて「読谷村不・平和の式典」を開いた。
 この日に式典が行われたのは、一九五二年四月二十八日に発行されたサンフランシスコ講和条約で、日本は主権を回復し、独立を得て喜びに沸き返ったが、それは沖縄の切り捨ての上に実現したものであった。逆に沖縄県は一九七二年五月十五日(沖縄の復帰の日)までの二十七年間にわたり行政、立法、司法のすべてが異民族の支配下に放置され、その為に県民は様々な吉被害を被ってきた。このことから県民はこの日を「屈辱の日」(四・二八沖縄デー)として深く心い刻んでいる。

不戦・平和の式典で恒久平和を誓う

 会場には児童生徒の代表らを含め、婦人会や老人会など約四百人が出席する中、「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」の映写会の後に式典がはじめられ、義母輝和議会議長が「読谷村民は去った大戦で多くの尊い人命を失った。その事を生き残った人々の教訓として、今後二度と再び戦争を起こさない起こさせないという決意のもとに『不戦宣言』を議決した。平和を希求する村民と共に不戦の誓いを声高らかに宣言する」と開会の辞を述べ、また山内徳信村長は「戦後、半世紀を迎えた今、私達は戦争への反省と教訓を総括し、歴史の姿を二十一世紀を担っていく若い世代に正しく伝えていく義務と責任がある」「戦争から学んだ貴い教訓を”忘れずに”日常生活の中に生かすことが大事であり”忘れない”ということは現代の最も崇高な道徳である。読谷村は、戦争の悲惨さを若い人々や後世に体験させてはならないとの思いで、終戦50周年の今年、年間を通して平和創造の記念行事を進める計画をしている」と式辞を述べた。
 引き続き、山内真永読谷村老人クラブ会長や比嘉信子読谷村婦人会長、屋良朝敬読谷村青年会長、児童生徒を代表して新盛麻衣子読谷中学校生徒会長らが、それぞれに平和の誓いを行い、また「不戦宣言」では渡慶次小学校六年生の各学級代表三十二名が、声高らかに宣言文を読み上げて恒久の平和を誓い、式典を閉じた。
 本村が計画している沖縄戦終結50周年記念事業は、今回の①「不戦・平和の式典」をはじめ、②「不戦宣言」及び石碑設置事業、③「上陸の地碑」制作設置事業、④読谷村植樹祭(仮称)、⑤「わたしのおじいちゃん、おばあちゃんの戦争体験」作文募集事業、⑥第8回読谷村平和創造展・特別企画展、⑦日本国憲法条文モニュメント制作事業、⑧読谷村・沖縄戦終結50周年記念誌(仮称)発刊事業、⑨広報「よみたん」特集コラム連載、⑩平和講演会開催事業、⑪読谷飛行場変換後を語る村民大会(仮称)の開催、⑫沖縄県主催50周年記念事業協力事業などを予定している。

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