読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1995年9月発行 広報よみたん / 3頁

【見出し】親の背を見て子は育つ

 僕は、三月に与論島へ旅行をしました。そこは景色もよく、なんとなく空気もおいしく、海も僕が今まで見た中でもとても美しくすんでいました。しかし、一番おどろいたのは、日が暮れてからのことでした。
 車の通りがほとんどなく、聞こえてくるのは虫の鳴く声だけで、子供だけではなく大人の姿さえも見当りませんでした。小さな島ではありますが、本島の街とは大きな違いがあり、とても不思議な気がしました。
 ところで、祖母に聞いた話ですが、沖縄では昔から「モーアシビ」という遊びのつどいがあり、日が暮れると男の人や女の人も集まって三味線をひいたり、踊ったり、時間が経つのも忘れて遊んだそうです。その風習が今でも残っているのでしょうか、東京などに比べて沖縄では居酒屋やレストランの閉店時間がとても遅く、そこに出入りしている大人の方は、帰宅時間もだいぶ遅いと聞いています。それなのに子供が夜歩いていたりすると、「夜遊びをしている」と指をさされます。どうしてでしょうか。
 僕の知人に、夜になってもよく外出している生徒がいました。その人の場合には、両親との会話が少なく、家族で出掛ける事もなく、外出する時も行き先や帰宅時間を告げなくてもよかった様です。
 その知人のように、家にいても会話は生まれず、日曜日になっても父は「疲れているから」と、キャッチボールさえもしてくれず、母は「日曜日は特に忙しい」と相手にしてくれなかったら、僕も、昼夜関係なしに外出していたかも知れません。幸いな事に、我が家では、父の帰りも早く、一緒に畑仕事をしたり、休みの日には遊んでくれたりする時間もあります。まずは、深夜はいかいを無くそうと言う前に、家族の会話を増やそうという運動を広めたらどうでしょうか。
 それには、父母の帰宅時間を早くするためにあらゆる店の閉店時間を早めるとか、残業を少なくするよう、会社に働きかけたらどうでしょうか。そして家族で少ない時間でも、会話を交わしたり、一緒にテレビをみて笑ったり、せめて食事時間は、揃った時に食べるというふうに努力してはいかがでしょうか。このような問題を解決するには子供からではなく、親の方から直していってみてはいけないのではないか考えてみてください。
 お父さん、お母さん、僕達子供は親の背を見て育っていくのです。

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