読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 7頁

【見出し】米軍不発弾処理場撤去の闘い

【米軍不発弾処理場撤去の闘い】

1970(昭和45)
5月 長浜の農耕中の農夫の足元に砲弾の破片が落下 ※その他、屋敷内への度重なる破片の落下や、爆発音、振動により家屋が被災するなど、村民は精神的な抑圧を受ける
12月 村議会が処理場を現地視察し、関係当局へ中止要請

1971(昭和46)
1月26日 座喜味の民家に破片が落下、米軍側は「知らない」と責任回避の態度を示す
1月28日 米軍のハーリス小差が役場を訪れ、初めて「陳謝」する
       村議会が臨時議会を開き「抗議と処理場の撤去要請」を採択する
4月23日 村からの撤去要請に、ファーリー民政官が改善を約束

1973(昭和48)
1月11日 不発弾処理作業による「毒ガス事故」が発生
1月18日 毒ガス事件に対する「抗議村民大会」が開催される
4月25日 「日米合同委員会」で不発弾処理場を自衛隊が共同使用することを合意する

1974(昭和49)
3月 アロハゴルフ場に破片が落下する
7月 アロハゴルフ場や親志の宅地造成現場、金城次郎氏(人間国宝)の登窯に破片が落下し、屋根をぶちぬく
7月30日 砲弾の破片が処理場から1キロ周辺に散乱して落下

1975(昭和50)
2月21日 アロハゴルフ場内のグリーンに破片が突き刺さる
2月25日 県や那覇防衛施設局、沖縄総合事務局の担当者と村長や村議員とで現場調査を実施
2月27日 村と議会が「読谷弾薬処理場の即時撤去に関する要求書」を関係機関に送付
6月3日 沖縄不発弾対策協議会が文書(3日、13日)で村に「処理場確保」の協力要請を行う
6月25日 沖縄不発弾対策協議会の協力要請を、村は正式に拒否
7月11日 米軍が不発弾処理場の使用再開の通知をする
7月12日 村民が処理場入り口で「座り込み実力阻止行動」を展開
8月15日 沖縄不発弾対策協議会が文書で、本土での「爆破実験への参加」を要請 村は参加を拒否

1976(昭和51) 
1月7日 沖縄不発弾対策協議会が文書で、読谷処理場への使用再開の方針を通知
1月9日 村議会が議員協議会を開き、対応を協議
1月21日 沖縄不発弾対策協議会の関係者らが来村し、処理問題を協議
5月8日 再度、沖縄不発弾対策協議会の関係者との協議が行われる
9月30日 米軍が「読谷不発弾処理場・集積所を閉鎖する」と発表

1978(昭和53)
3月31日 「不発弾処理場・集積所」返還

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。