読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 8頁

【見出し】アンテナ基地建設反対の闘い 工事追い出し座り込む 絶対建設させぬ 地主たち強い決意 

【読谷飛行場(駐車場一帯)】
 一九七六年七月十二日、読谷補助飛行場内で農耕中の村民から役場に「米軍が通信アンテナの工事を始めている」との通報が寄せられました。
 一報を受けた村では直ちに現場調査を開始すると共に、楚辺通信所の米軍関係者から事実関係の事情聴取を行いました。その結果、この工事が米海軍のP3C対潜哨戒機からの受信用アンテナ工事であることが判明しました。
 事態を重視した読谷村では米軍の関係機関や那覇防衛施設局などに対して、アンテナ建設工事の中止を再三再四にわたって求めましたが、米軍側は「アンテナ基地建設場所として読谷飛行場ほど条件の揃った所はない」と主張し、話し合いは平行線のまま、工事は着々と続けられました。
 工事を強行する米軍側とそれを容認する日本政府の態度に、要請行動の限界を感じた村や議会、読谷飛行場所有権回復地主会では「読谷村地域共闘会議」を結成し、座り込み実力闘争を決意。十月六日から地主会や地域のお年寄りら百七七人が先頭に立っての座り込み闘争が開始されました。
 地主会が座り込みを続行する中、十六日になって業者が村民の声を無視して工事を強行したため実力行使で工事を阻止。これに対して米軍や那覇防衛施設局は県警機動隊を導入してまでも工事再開を目論んできたため、このような事態では地主会だけで闘い抜くことは困難と憂慮した村内の各種団体は、十月十八日「読谷飛行場用地所有権回復支援共闘会議」を結成し、村民ぐるみで闘うことを確認。そして二十三日にはどしゃぶりの雨の中にも関わらず、村民八百人余が参加し、「読谷飛行場内米軍アンテナ設置反対村民大会」が開かれ、日米政府に激しい怒りをぶつけました。
 十月から始められた座り込み闘争も寒風吹きすさむ十一月に入り、にわかに長期化の様相をみせはじめたことから、事態の打開に向け十一月八日、村や議会、地主会会長らが要請文を携えて上京し、横須賀の在日米海軍司令部や関係省庁に対してアンテナ基地建設計画の撤回を求めました。
 その後、米軍から「工事は一ヶ月間中止する」という通告に伴って、座り込み闘争も一時解除することになりました。ところが、こうした中でも那覇防衛施設局は県警に機動隊の導入を要請し、工事再開を意図してきたのです。
 この情報をキャッチした山内徳信村長は「道理を尽くし訴えても、村民の声を圧殺するというのが米軍や日本政府の立場ならば、直接アメリカ大統領に直訴するしか道はない」と判断し、非常手段を行使する決意を固めました。そして翌年の二月七日、山内村長は遂にジミー・カーターアメリカ大統領への手紙「直訴状」を送りました。
 この勇気ある山内村長の行為は、県内マスコミをはじめ本土のマスコミでも注目され大々的に報道。米軍追従の防衛施設庁や外務省を驚愕させました。
 山内村長の高度な政治姿勢と村民が一体になって闘った成果として、在沖米軍をして工事を中止せざるを得ないまでに追い込み、結果として「アンテナ基地建設は白紙撤回する」旨の回答が米軍側から山内村長に寄せられ、事実上アンテナ基地建設は撤回されたのであります。

【読谷】米軍はわれわれ地主を何とみているのか。二度と戦争のため土地を押収してはならない。座り込みでがんばろう–読谷飛行場の米軍によるアンテナ基地■■■■■、六日ついに地主会が実力阻止行動にでた。午前九時ごろから百六十人の地主が集まり、■■工事人を追い出して座り込みを開始した。この■■強行■川■■合同地主会(地主・六百五十人)の阻止行動に村、村民もくるべきものががきたと■■しており、近く村民大会を開き、村ぐるみでアンテナ基地建設の阻止■■を展開することになった。座り込み初日の朝はトラブルはなかったが、地主会は交代制で■■して座り込み、工事をストップさせる■い構えをみせている。
 地主会が実力阻止行動を始めたのは三日。地主には五日知らされたが、午前九時中には伊良皆、楚辺、喜名、座喜味、大木の■■■から百六十人がぞくぞく集まった。これまで工事をしていた■■員八人は■■■■■で、さっさと■■■■たが、しばらくして■■■六日の■は■■■で「何とか工事人だけでも■■につかせてくれ」とかけあった。地主会は「いや、だめだ。われわれは実力阻止に出たのであって、■■■■るわけにはいかない」と突っぱね、エキサイトする場面も見られた。十時前に同■■会を■■、地主会■長は「私たちは今、自分の土地に■っている。三十一年ぶりです。■■■■てきたために土地は■■■人■■■■われた。米軍は今またアンテナ基地を建設しようとしている。■、■■■■■■■■■工事中止の■■をしてきたが何ら■■はない。私たち地主をなんとみているのか。自分の土地を取り戻すためにがんばらなければならない」と■■して闘っていく決■を述べた。
 また、■■村助役は「村としては紳士敵に解決■■っていきたかった。くるべきものが来たと残念でならない。新たに基地がdけいると■■がむずかしくなり、諦めるわけにはいかない。村長もこの問題で現在、上京している」とあいさつした。集まった地主たちは、「アメリカがこすいのか、日本政府がこすいのかわからない。勝手に基地を建設するのを黙って見ていることはできない」「今、こぶしをあげる条件が整った。みんなでやらなくては」と意気込みをみせていた。
 読谷飛行場は百九十万平方■の広さで、旧日本軍が戦時中■■■■した。戦争が終わったら地主に返還するとの約束だったというが、いまだに返還されていない。国は地主会の返還要求に対して「■■に基づいて買ったものだから■■問題だ」として、地主、村の要求を突っぱねている。現在、半分近くが■■■■されているが、村、地主会は「あくまで元地主に返すべきだ」と■■、米軍に工事中止を強く要請してきた。問題のアンテナ基地は楚辺辺りにあり、一■が七十問■四方の大きなもの。七月十一日に村民に発覚してから中止要請を無視、現在、コンクリートの基■、基地内の金網の中ではアンテナの組み立て作業がすすめられている。
 地主会の実力阻止は、村、村民がバックアップ、長期闘争の様相をみせてきた。アンテナ工事の期間は■■一月までとなっているが、職員の話では一ヶ月で■■■■という。実力阻止闘争で工事のスケジュールが大きく狂うことが予想され、地主会は米側お今後の出方を注目している。

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