読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 9頁

【見出し】老女「返して下さい」私の土地です 必死に叫ぶ地主200人衆院調査団に涙の直訴

【読谷】「この土地は国有地ではありません。もとの地主に返すよう、国会も力になってください」ーー。旧日本軍に強制接収されて以来、■国有■■になっている読谷飛行場跡の地主ら約二百人が、二十一日午後、現場を視察した■院内閣委沖縄調査団(団長・正木啓次郎委員長)を前に訴えた。年とった地主たちが必死に叫ぶのを見て、保守の議員も革新の議員も一瞬立ち止まり、「頑張って下さい」。現場では正示団長が「皆さんの要望にこたえたい」と答えていたがー。

《強制接収の読谷飛行場跡》
 この日、衆院内閣調査団が初めて現地を視察するとあって、地主会では全地主に■■をかけ「議会の先生方ごくろうさんです。所有権回復にお力を貸して下さい」と横断幕を中心に整列。ちょうさだんがバスから降りて来ると盛大な拍手で迎えた。国会議員から「ごくろうさん。がんばって下さい」と握手の手が差しのべられると「ありがとうございます。よろしくお願い致します」と涙ぐむ老女の姿も。「ここは強制的に接収された土地であり、取りもどすまで死にきれません」と語気を強める老人もいて、改めて地主たちの苦悩が浮き彫りにされた。
 現場であいさつに立った■原昌繁地主会長は「読谷飛行場は”戦争に勝つため”という大義名分のもとに地主は国のために用地を取り上げられた。そして戦争中はそこに飛行場があったために戦争の被災を集中して受け、戦後も農耕地がないため苦難の生活を余儀なくされた」と戦争による二重苦、三重苦を訴えた。
 続いて山内徳信村長は「私たちは国家目的遂行に協力し、祖国防衛の決戦場として、言語に絶する被害を受け戦後三十年余の今日まで戦後処理がなされていないことにいかりを覚える。国は早急に用地を地主に返還し、摂取以来今日までの一切の損失を補償してもらいたい」と強く要請した。
 これに対し、■示団長は「この問題は国会の予算委員会で取り上げられており、首相が”消す必要のあるものが消す”と言明している。管理しているのは大蔵省で、現在調査を進めている段階です。われわれも■■から直すべきは直して行くよう努力し、皆さんの要望にこたえていきたい」述べた。

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