カーター米大統領に基地を返せと直訴状を送った沖縄・読谷(よみたん)村長 山内徳信
米軍側が昨年夏、対燃哨かい機P3Cの通信基地を、村の真ん中の「読谷補助飛行場」につくりだした。そこは奇異な米軍の基地で、滑走路は閉鎖(破壊)され、広々とした二百十四■の土地は、一面、黙認耕作のサトウキビの■が揺れる。「立ち入り禁止」の掲示さえなく、出入りは勝手。村の面積の五五%を基地にとられた村民が「返還まちか」と見ていた土地だった。
それだけに、基地反対は保守革新を問わぬ「村ぐるみ運動」になりえた。村議会、区長会は全員一致反対。村長は「読谷飛行場用地所有権回復支援共闘会議」の団長だ。中央の役人が「村長まで先頭に立って!!」と手を焼く。「地域の最大の■■問題から、村長は逃げ隠れできぬ。奪われた私有地■■■という基本権の問題だ。闘争の全面に立つ」
村長の立場で打てる手だては全部尽くした。現地米軍、防衛施設局にはお百度を踏んだ。横須賀の在日米■軍司令部では提督の代理にあしらわれた。最後の手段ーーそれが米大統領への直訴だった。
直訴状の反響は先ず那覇防衛施設局の部長からきた。「ついに出しましたな」。苦々しい響きが、受話器から伝わった。
米軍との折衝が多い「基地村長」は、異国の大統領■の■すうに関心を抱く。カーター氏の■■に目を通したのは、すでに昨夏のことだ。「農民の気持ちをわかってくれないか」。ピーナツ農場主に期待する。日頃、ひとり役場に出て三千六百字の長い手紙を、六時間かけ書き上げた。
村議院の四分の三は高校時代の教え子。「歴史の批判に耐える村づくり」を信条とする。
沖縄戦当時は国民学校四年生。沖縄本島北部の山岳地帯を家族五人でさまよい、ハブを食べ、戦死した兵隊の持つ砂糖もなめた。餓死寸前で山を下りた体験が■政に生きている。(西)
カーター大統領閣下。私は日本國沖縄県読谷村の村長をしている山内徳信で、村民二万五千人にかわり、失礼を顧みず直接手紙でお願い申し上げたい。現在米軍のアンテナ工事をめぐり、地域住民との間に極めて緊迫した事態が迫っています。小村の村長の訴えではありますが、お聞き取り下さって在日米海軍司令部に適切な助言をしていただきたいのです。
私たちが村をあげ、米軍のアンテナ工事に反対する理由は三つあります。アンテナ基地が出来ると土地の返還が遅れ、村の基本構想がつぶれ、五五%も基地がある村に、これ以上の基地拡大は認められないーーというわけです。十一年前から村が立てている土地利用計画の中で運動公園は今年度準備来年度から竣工を考えてました。村民は1日も早く運動公園が出来ることを夢見ています。広々とした緑にかこまれた公園で野球、陸上競技、ラグビー、サッカー、テニスに汗を流し、木々の下で青年たちは恋を語り、人生を論じ、お年寄りは広場や芝生に腰をおろして生きがいを語らう憩いの場。スポーツを通して豊かな人間性を培うために運動公園をつくろうということは、村民共通の夢であります。どうか大統領閣下、この夢だけは圧殺しないで欲しい。われわれにとって大切な大きな夢なのです。
村民と米軍との信頼関係が必要であり、それなくして他国での基地の維持は困難を極めると思います。その土地に永久に住む者の計画が優先すべきであって、いつかは帰る米軍基地が優先されるべきではない。私は村議会議長、地主会長らとともに何回となく在沖縄米海軍にお願いし、在日米海軍ラッセル将軍あてにも要請を続けてきましたが、まだよい返事を得ていません。私が非礼も承知で手紙を書きましたのは二万五千村民を思い、万が一にも村民の夢が押しつぶされぬよう、それには大統領の言われる「なぜベストを尽くさないか」という心情から、どんなことがあってもお願いするという気持ちで手紙を差し上げたわけであります。私は事に署するにベストを尽くすことを信念としておられるカーター大統領から、明るい返事が1日も早く来ることを期待しております。
日本国沖縄県読谷村長 山内徳信
米海軍通信基地の建設に村ぐるみで反対している沖縄本島・読谷(よみたん)村の山内徳信村長は七日、カーター米大統領へ建設中止を求めた直訴状を投かんした。問題の建設は沖縄返還に当たって米海軍が那覇■■から嘉手納に移駐したP3C対しょう戒機部隊の通信アンテナで、昨年夏から反対運動が盛り上がり、村民の現場殴り込みなどで工事は中断している。しかし、米軍側は工事再開をはかり、沖縄県警も「いずれ機動隊出動の場面が生じる」と想定して警備計画を練るなど、事態は切迫してきていた。山内村長は「外国の元首に一村長が直訴するのは非常識かもしれないが、せっぱ詰まった最後の訴えだ」と、最終手段に及んだ気持ちを語っている。
読谷村は沖縄本島中部の西海岸に面し、全面積の五五%までが米軍基地として使われている。山内村長は二年前に高校の社会科教諭から三十九歳で無■■、初当選した革新系■長。村政の最大の懸案は「土地問題」で、とりわけ村のど真ん中の一等地を占める米軍読谷飛行場(二百十四㌶)の返還を、強く求めてきた。基地は黙認耕作地のサトウキビ畑になり、米軍は時々空てい部隊の降下訓練に使う程度だった。村当局は使用実態から「典型的な遊休基地」と見て、返還が近いものと期待し、以前から村役場の移転、教育文化センター、社会福祉センター、運動公園などの立地を計画していた。
飛行場の中央部で米軍が大がかりなアンテナ工事を始めたのは昨年七月で、このままでは米軍が手放そうとしない恒久基地になり、返還は当てにできなくなるとして、村ぐるみの反対運動が盛り上がった。村民は工事現場に座り込み、工事の中断に成功したが、米軍は昨年十二月、請負業者に工事再開を強く指示した。業者はこのほど沖縄県警に工事に当たっての警備を要請、一方村民側は常時パトロールを実施していつでも座り込み、工事を実力阻止する構えで、情勢は緊迫してきていた。
「村ぐるみ運動」だけに、山内村長■■が共闘会議の議長を努めその事務局を村役場に置いている。また同村長は外務省、防衛施設庁、米軍などに工事中止を要請してきたが、色よい返事は得られなかった。このため「あらゆる手段を尽くして訴えを」と、カーター大統領への直訴を思い立ったという。直訴状は日本文で三千六百字、那覇市内から航空郵便で送られた。