読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 12頁

【見出し】トリイ通信基地問題 米軍基地から汚染たれ流す(読谷村楚辺の海岸 山内村長が施設に抗議)海岸を著しく汚染 ビーチ拡張反対の闘い

 米軍トリイステーション(トリイ通信施設)から発生した主な基地問題は次の通りです。
■海岸への汚物たれ流し問題
■楚辺兼久ビーチ拡張問題
■米陸軍特殊作戦部隊配備問題
■米兵の発砲事件
■農耕地立ち退き問題
 このことは、いかに軍事基地の存在が村民の生命・財産を脅かし続けているかを象徴する出来事ではないでしょうか。

【読谷】「これはきたない」ー、読谷村楚辺にある米軍トリイ通信基地からの汚水が、復帰前からずっと同村楚辺の海岸にタレ流され、海岸線汚染の大きな原因のひとつとして問題になっている。基地からの汚物のタレ流しは、■年ほど前にも問題となり、米軍と那覇防衛施設局は汚物のタレ流しをしないことを約束。「伊佐浜の汚物処理場にパイプで送っている」としていたが、十九日午前の村役場保険衛生課の調査で相変わらず、海岸へのタレ流しをしていることがわかった。こうした米軍のタレ流しを問題にした山内徳信村長は、■日午前、那覇防衛施設局に強く抗議するとともにただちに汚物のタレ流しをやめるようにもとめた。
 米軍が汚物などの混じった汚水をタレ流しているのは読谷村楚辺の海岸でトリイ通信基地内を奥深く入った黙認耕作地に隣接する海。米軍基地から地下に埋没された下水道を通って海岸につき出たコンクリート製の排水溝から汚水がタレ流されており、干潮時は悪臭がたちこめ、海を汚染している。十九日の調査では付近の海■一帯にあきらかにそれとわかる汚物が扇形に近い形で■流、悪臭を放っていた。
 現場一帯の海岸は黙認耕作地に隣接した海岸とは言え、読谷村でも砂浜の広がるきれいな海のひとつで村民らは「きれいな海を汚す米軍のタレ流しは許せない」と怒っている。
 米軍のタレ流しは復帰と同時に問題となり、■年ほど前に那覇防衛施設局は「タレ流しをやめるべく、排水パイプを伊佐浜の処理場と結んだ」と村民に回答してきた。施設局のこの回答で村当局は「問題は解決したとしていたが、十九日の調査で米軍は以前と同じようにタレ流しを続けていることがわかり、村民の怒りをかっている。

 太平洋戦争が終結し、米軍占領下の一九五二年(昭和二七)二月、米軍のトリイ通信基地建設に伴い、楚辺区民は米軍の立ち退き命令を受け、楚辺区は現在の居住地への強制立退を余儀なくされました。
 強制接収した土地に基地が建設され、それに伴って基地内の排水施設のマンホールが楚辺海岸沖に敷設されたことから、基地内の汚物などは未処置のままにたれ流され、海は汚物が漂い、著しく汚染され続けました。
 一九八〇年(昭和五五)五月ごろには、そのマンホールが決壊し、海岸一帯(砂浜)に大量の汚物が蓄積され、悪臭問題が発生。これに、山内村長が毅然とした行動で米軍や那覇防衛施設局に対して改善を求めて問題を解決。楚辺の海岸は戦前の美しいビーチに蘇り、村民の海水浴場として親しまれてきました。

 ところが、一九八二年(昭和五七)八月十二日、米軍は突如として黙認耕作地までビーチ地域を拡張する動きにでました。村や楚辺区が内容を問いただすと「ビーチを拡張し、米軍専用の保養ビーチにする」というものでした。
 一九八四年二月、米軍は総面積約十六万五千平方㍍に及ぶ海浜保養施設の建設計画を提示し農耕地の立ち退きを通告。米軍側の示した計画図面によると保養施設は、キャンプ場、ボート置き場、ビーチパーティー場、球技場などと広大なもの。米軍の通知を受けた楚辺区ではこれにショックを受け猛反発。村とタイアップして米軍や那覇防衛施設局に計画撤回を求めると共に、区民ぐるみでの反対行動をしていくことを確認してきました。

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