読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 15頁

【見出し】聖地・農地取り上げ許すな 撤回要請を決議(読谷村楚辺の農耕地取り上げ区民総会、怒りの声うずまく) 農耕地の立ち退き反対の闘い

【読谷】「楚辺の聖地、■地の取り上げは絶対に許せない」ー。米軍が読谷村のトリイ通信基地内の黙認耕作地に駐車場と倉庫をつくるため、東原一帯(一万八千五百坪)の明け渡しを要求していることに対し、楚辺区(池原伝雄区長)は猛反発。十四日夜、公民館で臨時区民総会を開いた。総会には、公民館からあふれるほど多くの区民が参加。「この一帯は字の聖地であり、肥よくな農地である」と強調。「米軍によるトリイ通信隊内の農耕地取り上げに反対し、撤回を求める要請決議を全会一致で可決。強力な運動を進めることを決めた。
 米軍の理不尽な要求に対し、集まった区民は、どの顔にも怒りがこめられていた。まず最初に池原区長がこれまでの経過を説明。この中で「今月五日にトリイ基地に呼ばれ、黙認耕作地内の農地を明け渡すように言われた。代替地は三十四カ所の細切れであり、しかも、石だらけで農耕できないところ。米軍が取り上げようとしているところは農家が長い年月、費用、労力をかけて肥よくな土地にしたところ。しかも楚辺の井戸の発祥地。字の守り神の「ウガンヒトラー」など多くの聖地がある。この場所は絶対に渡せない」と強い憤りを込めて語った。
 このあと、伊波栄徳県議、池原安夫村議をはじめ、区民が次々と発言。激しい怒りの声がうず巻いた。
 総会では「たび重なる農地明け渡し要求は区民生活を崩壊させるものである。区民の我慢の限度を超えており、明け渡し要求を撤回するまで不退転の決意で反対する」との決議を採択した。今後、村ぐるみで米軍、防衛施設庁に抗議していく。

 楚辺兼久ビーチの拡張で、楚辺区民の農地を取り上げてきた米軍が、一九八八年(昭和六三)七月、今度は基地内の農耕者約百人に対して「基地内にモータープール(駐車場)や倉庫を建設するので農耕地(一万八千坪)を明け渡せ」との一方的な通告が行われました。
 米軍の突然の農耕地立ち退き要求に、地元楚辺区では緊急に対策会議や区民総会を開き、「当該用地はかつての字の中心地で、字の聖地であり断じて許されない」「今回の暴挙は区民への挑戦であり、明け渡し要求は農家の生産基盤を根底から破壊するもの」と怒りをぶつけ、計画の撤回を求める要請決議を全会一致で採択しました。
 さらにこの時の決議には、楚辺兼久ビーチやグリーンベレーの強行配備、通信ターミナル建設時の農耕地取り上げ問題、今回のモータープール建設と続く基地の強化ぶりを指摘し、不退転の決意で反対運動に取り組むことが確認されました。
 この問題に対して、村や議会では撤回を求める要請決議を採択するとともに、在日米軍司令部や駐日米大使館、政府関係省庁を訪ねて要請行動を行ってきましたが、米軍は区民の声に耳を貸さず、建設工事を強行していきました。

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