読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 19頁

【見出し】こんな差別はどこにある 土地接収、演習激化を糾弾 3000人がトリイ基地包囲

【読谷】「子や孫のためにも米軍に土地は渡さない」ー読谷補助飛行場で開かれた米軍の演習を認めない村民総決起大会には、楚辺区が子ども会をはじめ区民ぐるみで参加したのを中心に、労組員、青年会、婦人会、老人クラブ、農家など、多くの階層から約三千人が参加、熱気に包まれた。「日本軍に土地を取られ、戦後は米軍にも占領され続けている。こんな差別が日本のどこにあるか」切々と訴える地主。「米軍が農地を取り上げようとしている所は、字の聖地。絶対に許せない」と怒りで唇をふるわせる農家。村民の怒りのシュプレヒコールは、夜のトリイ通信基地を包んだ。
 相次ぐ米軍演習、さらに護地取り上げと、打ち続く米軍の無謀な行為に対し、村民の怒りが爆発した。村民総決起大会には、主催者の予想を超える三千人もの村民が結集。とくに今回、一万八千坪の護地取り上げが通知された楚辺区(池原信雄区長)は、区民をあげての参加。農地のオジイ、オバアたちが孫の手を引いて大会に集まった。
 「土地は先祖からの贈りもの。この子たちに引き継がせる。絶対に米軍には渡さない」ときっぱり語る人が多かった。今回、千坪の畑が取り上げtの対象になっている楚辺の比嘉正善さん(四八)は「親から受け継いだ畑でキビを作って生活している。昔から立ち退きで追われて、やっと畑にしたと思ったらまた取り上げ。米軍はわれわれを何と思っているのか」と怒りの口調。
 演壇では、山内徳信村長をはじめ関係者kが次々と米軍の演習激化に抗議。読谷飛行場所有権回復地主会の池原昌繁会長は「昭和十八年、まだキビ、芋の残る畑を日本軍に飛行場として取られ、気が狂った人も出た。戦後、四十三年たっても地主の手に戻らない。こんな差別は日本のどこにもない」と憤まんをぶつけた。
 比嘉節子村婦人会長も「こどもたちの登下校の近くで、パラシュート訓練が行われている。飛行場の近くには保育園、福祉センターもある。米軍は施設外に降下するなど危険だ。子供たちを守るため、婦人も立ち上がる」ときっぱり。
 このほか、青年会、老人クラブ、学校関係者なども次々と登壇し、村民ぐるみで米軍演習を糾弾、飛行場の返還を訴えた。
 飛行場から伊良皆ー大木ートリイ通信隊前までデモ行進。年配の農民、子供たちも最後まで歩き、「先祖からの土地を守ろう」と夜空に響かせた。

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