読谷補助飛行場での米軍パラシュート降下演習が村民の声を無視して幾度となく強行され続ける中、一九八六年(昭和六一)十月十七日、今度は在沖米海兵隊と嘉手納空軍が合同で「滑走路損壊補修訓練”鋭い剣”」という新たな演習を十八日から実施することを村に通告してきました。
これは、敵の攻撃で飛行場の滑走路が破壊されたことを想定して、緊急に補修する訓練で、しかも一万平方㍍(約三千坪)の農地をつぶして実施するという訓練内容でした。
事態を重く見た読谷村及び村議会ではその日に代表団が那覇防衛施設局に演習中止を申し込みましたが聞き入れてもらえず、翌十八日、議会は臨時議会を招集し「抗議と要請決議」を全会一致で採択しました。
一方米軍は、この日の早朝から飛行場内にトラックやクレーン車、食料、水タンク、簡易トイレなどの野営に必要な物資を次々と運び込み訓練準備に取り掛かりました。
村や議会では現場で米軍責任者に対して訓練中止の要請行動を行いましたが、米軍は中止要請に応じる気配を見せないことから、村ではこの日、議会や村職労、区長会、婦人会、老人会、所有権回復地主会などの村内十五団体で構成する実行委員会を結成し、ねばり強く反対運動を展開していくことを確認し、現場にテント小屋を設営して徹夜の監視体制に入りました。
二十日の朝、村や議会代表らが米海兵隊司令部(キャンプバトラー)と那覇防衛施設局に対して中止の要請を始める中、米軍が大型トラクター二台を導入して本格的に訓練を強行してきたため、怒った村民二百人は遂にトラクターの前に立ちはだかり阻止行動を展開。この日の訓練をストップさせました。
米軍は翌二十一日以降、演習阻止実行委員会のメンバーらが厳しく監視する中、嘉手納署や県警機動隊に守られながら三十日まで訓練を強行していきました。その間、実行委員会では二十四時間の泊まり込み体制で、米軍演習に立ち向かいました。
在沖米軍は六日午前、読谷村在の米軍読谷補助飛行場で、敵の爆撃で滑走路が破壊されたことを想定し、滑走路の「損壊修復査定訓練」を開始した。訓練には嘉手納基地の空軍兵約十五人が参加。滑走路上に土砂や石を積み上げたクレーターを設置し”被爆”の形状をつくって訓練を実施した。この日、現場には読谷村の山内徳信村長をはじめ、村職労などでつくっている同訓練反対実行委員会の労組員や住民八十人余が集結。県警・嘉手納署の警備の中、抗議行動を展開し、米兵らとにらみあった。米軍は今後、毎水曜日に同訓練を実施すると那覇防衛施設局や県、読谷村に通告しており、村内は新たな反基地戦争の空気に包まれている。
《地元抗議団、米兵とにらみ合い》
同訓練には、空軍の施設維持・管理部隊とともに核・化学兵器取り扱いをも任務とする「爆発物処理部隊」(EOD)も参加。嘉手納基地報道部は、EODが防毒マスクや防護服などを着用して訓練することもある、と明らかにしている。同訓練が、敵の襲撃で滑走路が破壊されたことを想定したものであることから、EODは核・化学兵器による攻撃での滑走路破壊への対処訓練を行うものとみられている。
この日は、同補助飛行場の滑走路(約九百二十㍍)に土砂や石を積み上げた直径約十五㍍のクレーターを約十カ所に設置して”被爆”を想定。住民の車両などの通行を禁じ、抗議をしり目に強行した。
同補助飛行場を管理している在沖米海兵隊の作戦訓練副部長カイザー中佐は同日、現場で「近く、海兵隊員も参加し、空軍とともに訓練する方針」と明らかにした。
同補助飛行場では、在沖米海兵隊が一昨年十月十八日から約二週間「シャープン・ソード」(鋭い剣)と称する滑走路緊急補修訓練を実施した。今回は恒常的な施設(クレーターなど)を設置しており、地元住民は「実質的な米軍施設の増強と訓練の大幅な強化」(山内村長)と強く反対している。
同訓練に参加するEODは通常、不発弾処理を主任務としているが、核・化学兵器の移動や積み替え時の事故防止への支援、核・化学兵器や危険な爆発物を集中する際の取り扱いや貯蔵などを任務としており、現在、在日米軍では嘉手納基地のほか、横須賀、佐世保、岩国基地などに駐留している。