読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 28頁

【見出し】読谷飛行場返還及びパラシュート降下演習反対の闘い 旧日本軍は地主に対し『戦争を勝ち抜くため、皆さんの土地を提供してほしい 戦争が終われば土地は返す』と説明した 今度はパラシュート落下(読谷)民家からわずか13メートル村民に大きなショック  

【読谷】六日午後六時十五分ごろ読谷村楚辺の民家近くに主さ七㌔もの鉛のような重しをつけたパラシュートが落下した。幸いケガ人は出なかったが民家からわずか十三・五㍍しか離れておらず、付近住民に大きなショックを与えている。五日夜には金武村で照明弾の落下事故があったばかりでたて続けの事故で今後、大きな問題に発展しそう。
 パラシュートが落下した現場は読谷村楚辺の分譲住宅地域内で同村楚辺一三九五ノ一五九、軍雇用員、古堅■行さん(四〇)宅の西側の空き地。第一発見者の同村楚辺二〇八四ノ三、名城和夫さん(二九)は「食事中、外を見るとピカピカ光るものが落ちてきた。外に出てひろってみると思いおもしのついたパラシュートだった。上空にはヘリコプターが飛んでいた」と興奮したおももちで発見したもようを話していた。
 この日、米軍は午後六時から旧読谷飛行場でパラシュート降下訓練を行っており、この夜間演習での事故とみられている。旧読谷飛行場でのパラシュート降下訓練は今回が始めて。それだけに降下訓練開始の同日午後七時過ぎには読谷村の安田慶造助役が現場にかけつけ、「夜間演習は危険このうえない」と強く抗議した。この夜間演習は十一日までの予定で村当局に通告されているが安田助役は「もし、あすも演習を強行するなら職員を総動員、業務の一環として演習を阻止する」と実力阻止も辞さない構えをみせていた。
 こうした村当局の強い抗議で降下訓練は開始からわずか四十分で中止された。降下現場には米軍当局の幹部三人が訓練を見守っていたが「どこの部隊での演習か」などについては一切コメントを避けていた。
 「これでは、おちおち道も歩けない」ー。思いおもりのついたパラシュートが落下してきた読谷村楚辺に住む地域住民は大きなショックを受けている。おもりの重さは七㌔もあり鉛のような金属で直径が一四・五㌢、高さ八・五㌢の円筒型。付近住民は「これがまともに人間に当たったら即死だ」とふるえあがっていた。パラシュートの落下現場は、米軍の降下訓練の目標地点から約千㍍近くも離れた新開住宅地域。問題を重視した区は落下したパラシュートを米軍にも引き渡さず、保管しており、今後、村当局を通して米軍当局への抗議行動をおこすことにしている。同村楚辺の比嘉順繁区長は「こんな状態では安心して生活できない。村長を通して強く抗議していきたい」とおどろいていた。

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