読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 36頁

【見出し】米軍のパラシュート降下演習に関する主な資料編 「だれかがパラシュート持ち出した 「キリーン発言」に村民反発 嘉手納署事実関係、究明へ

【読谷】パラシュート訓練事故で在沖米軍最高司令官、キリーン四軍調整官が「だれかがパラシュートを投下地点から持ち出したもの」とコメントしたことに村民は「言い逃れにすぎない」と米軍の態度に強く反発している。また、こうした米軍の釈明を受けて嘉手納署も十四日から事実関係の究明に動き始めた。しかし、捜査当局の警察も「これまでの調べで米軍が落としたものに間違いないと思われるが、どうしても米軍の態度が納得できない」と困惑の色を強めている。
 落下事故現場となった読谷村楚辺部落の比嘉順繁区長は「何も証拠がないものだから米軍はでたらめなことを言って、言い逃れをしているとしか考えられない。こんなことでは今後どんなことが起こるかわからないので演習を中止させるまで、区民あげてがんばっていきたい」と話していた。村役場ではキリーン将軍の発言を「まったく子どもだましの言い逃れで、最高司令官の発言とは思えない」と、あきれはてている。村ではこうした米軍の不誠実な対応に断固として闘う構えで、今後一切の演習を許さないことにしている。
 十四日午前九時から行われる予定だった演習は風が強いため中止されたが、村では「事故の原因追及もされていないままでは中止は当然だ」と受け止めている。
《きょうの降下訓練中止》
 在沖米海兵隊は十四日午前九時前、那覇防衛施設局に対し同日午前九時から再開するはずだった読谷補助飛行場でのパラシュート降下訓練を中止すると通告してきた。「強風のため」というのが中止の理由だが、海兵隊当局は二十日に同種訓練を再開する方針は変えていない。
 那覇防衛施設局の根本局長によるとパラシュート落下事件の事故真相を究明するため、防衛施設庁や自衛隊の専門家の協力を得て、パラシュート落下が米軍の主張するように施設内だったのか施設外の民間地域かについて、関係部品を収集した上で落下角度などの専門的調査を進めている。

【夜間降下訓練】《住民、クラクション鳴らし抗議 読谷 殺気立つMP》
【読谷】米海兵隊は十三日、読谷補助飛行場で山内村長はじめ地元住民の激しい抗議をしり目にパラシュートの夜間降下訓練を強行した。夜間演習は、昨年十一月六日に起きたパラシュート落下事故以来、三ヶ月ぶり。演習は、二回にわたって三人が降下。一回目はターゲット(目標)からわずか五十㍍地点に着地したものの、二回名は五百㍍以上も離れたところに落下。これを目がけて警備にあたっていた米軍憲兵隊、県警機動隊、地元住民が殺到、降下演習は、暗闇の中で、大混乱のうちに終了した。幸い住民と警備隊とのトラブルはなくケガ人や逮捕者はなかった。山内村長は、総括集会で「これは夜間演習の危険性をまざまざと見せつけたもの。沖縄はもはや戦場の中にあると言わなければならない」と激しく抗議した。
 米軍から読谷村への演習通告は同日午後六時から九時まで。午後八時四十六分、最初の一人が降下。パラシュートには白いせん光を放つライトがつけられていた。ついで五十六分に二人が降下、しかし二人はターゲットから北側へ五百㍍以上も離れた地点に着地。これをめがけて米軍の憲兵隊、県警機動隊、地元住民が殺到したため一時は緊迫した空気に包まれた。
 この日の米軍は最初から強硬姿勢を見せ、警備陣を最大動員、海兵隊の憲兵のほか日本人ガード、軍用犬まで動員されターゲット周辺をがっちり固めた。憲兵は防弾チョッキに身を包み盾とこん棒を持ち、短銃を携帯してものものしい警戒ぶり。これに対し読谷村の演習場撤去要求実行委員会(委員長・山内徳信村長)は、午後五時半から各団体に呼び掛けて村民約五百人が結集、ターゲット近くの滑走路に車百台以上並べ、C130が上空を旋回するたびにライトを点滅したり、いっせいにクラクションを鳴らして激しく抗議した。嘉手納署は、県警に応援を求め機動隊三個小隊約七十人が周辺の警備にあたった。

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