【見出し】オリンピック選手はすご~い(浅井えり子氏を招き実技指導) ハードな練習の前に基本を 10月の村人口 人口:34,624人(+65) 男:17,231人 女:17,393人
日本を代表してソウルオリンピックや数々の国際大会に出場したマラソンランナー・浅井えり子選手が招かれ、小中学生を対象とした「ランニングの実技指導」とその日のタには「講演会」(村教育委員会主催)が開かれました。
十月二十八日午後、古堅中学校で行われた実技指導には村内の小中学生の各種クラブ員や恩納村の山田中学校の生徒ら約二〇〇人が参加し、トレーニングの指導を受けました。
実技では先ずグラウンドを二周する軽いジョギングと準備体操で体をほぐした後に基本トレーニングを開始。浅井選手が見本を示しながら、前向き・後ろ向き、左右へのスキップ走やダッシュ走(約50㍍)、腿上げの正しい姿勢などの基本動作を指導。国内のトップランナーの実技指導とあって生徒らも目を輝かせ真剣そのもの。浅井選手と共にさわやかな汗を流しました。
実技終了後、指導を受けた生徒らは、「あんなに小さな身体ですごい人」「とても緊張したが楽しかった」「いい経験になった」と話し合っていました。
近い将来、オリンピックのマラソンランナーが本村から誕生するかも知れません。
また、午後七時から総合福祉センターで行われた講演には、楚辺走ろう会のメンバーやマラソン愛好家の方々など多数の人々が会場を訪れ、浅井選手の講話に耳を傾けました。その中で浅井選手は「私は小・中・高校までは普通の子で、高校の時に友達に誘われてクラブ活動をしたのが走るきっかけ。だがスピード(中距離八百M)がなく、自分一人だけが目標タイムをクリアーできなかった」。「負けず嫌いな性格なため隠れて練習を積み重ね、大学の時に目標タイムをクリアーすることができた。その時に努力すればできるという自信を深め、走ることに意欲と興味がわいてきた」と話し、「NECに入社した時の佐々木功監督の言葉『お前だってスピードがだせる』が、私に夢と希望を与えてくれた」とマラソンを始めたきっかけを説明した上で、「総合的に身体のできてない小・中学生には長距離は好ましくなく、ハードな練習の前に基本(スキップ)から始めるべき。走ることだけが練習ではなく歩くことも大切な練習」と、バランスのとれた体づくりと成長期の走り過ぎの危険性を指摘して講演を締め括りました。
浅井えり子氏プロフィール
1959年 東京都足立区生まれる。高校入学後、長距離選手としてスタート、文教大学を卒業。
82年 日本電機ホームエレクトニクス(当時、新日本電気)に入社。佐々木監督の元で本格的にマラソンに取り組み始める。
84年 東京国際女子マラソンで2時間33分43秒の記録を出して2位に入賞。一躍注目を浴びる。以後、日本代表として、ソウルアジア大会、ローマ世界陸上、ソウルオリンピック等数々のビッグレースに出場。
94年 名古屋国際女子マラソンで国内初優勝を遂げる。自己ベスト記録は1993年の2時間28分22秒。
96年 4月より、文教大学の客員研究員として、母校に戻る。
著書に「もういちど二人で走りたい」(徳間書店)がある。
10月の村人口
人口:34624人 (+65)
男:17231人
女:17393人
出生〔52〕 死亡〔12〕 転入〔141〕 転出〔116〕
世帯:9831 (+25)
( )内は前月比