読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1997年1月発行 広報よみたん / 2頁

【見出し】謹んで新年のご挨拶を申し上げます(読谷村長 山内徳信)

《あけましておめでとうございます》
 一九九七年・平成九年の新年を迎えるにあたり、ご挨拶を申し上げます。村民の皆様方には、夢と希望に胸ふくらませ、新たな決意で新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 今年は「丑年」であります。村民の皆様方には「牛」の如く、健康でたくましく毎日のお仕事にご奮闘、ご活躍されますよう心から祈念申し上げます。
《激動を乗り越える村民の新たな力》
 戦後五十一年目の昨年は、読谷村を含め沖縄県(民)は大きく揺れた年でありました。
 日米両政府に対する闘い(基地問題の提起)は、紆余曲折をしながらも確実に沖縄・読谷の歴史を前進させることが出来た年でありました。
「代理署名拒否を支え公正公平な裁判を求める村民総決起大会」。普天間飛行場の代替ヘリポートを読谷村内に作らさない村民総決起大会に、五千人の村民が参加しました。闘わずして勝つことを目標とした戦略戦術の勝利であり、何よりも村民の生命・財産、生活環境を守り抜かねばならないと言う、情熱的な取り組みが建設候補地の白紙撤回に成功いたしました。このエネルギーは、今日までの反基地闘争を通して培われた村民の新たな力となりました。
初めての経験であった、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理縮小を問う、「県民投票」にも情熱を傾けた年でありました。
 十二月二日、SACOの最終報告によって、読谷飛行場の返還、象のオリ、瀬名波通信所等が、平成十二年度中に返還されることが明らかになった年でもありました。
《文化の香る美しい村づくり》
 一年間をふりかえってみますと、村民の活動は実に活発でありました。小中高校生の体育、文化、教育活動は更に充実発展し、内外で大きな実績を残した年でありました。
 婦人会、青年会、老人クラブ等、各字各団体とも活発でありました。
「第22回よみたんまつり」をはじめ、「第12回残波まつり」「%読谷やちむん展」「第9回平和創造展」、文化協会の「第1回文化祭」、読谷山花織組合の「東京展」「京都展」、村立美術館の諸展示等、年々充実発展して参りました。
 環境美化運動も各字婦人会や各学校、各老人クラブの活動によって、大きな成果をあげて参りました。波平老友会の全国表彰や高志保婦人会の県婦連からの表彰等は、特筆すべきものであります。村民各位のご協力、ご活躍のおかげで本村の文化の香る美しい村づくり運動は年々進展しております。

《さらば五十一年未来へとはばたけ》
 現在の役場から村民への最後の年頭の挨拶になります。現在の役場に別れを惜しみ感謝をこめ、次の散文詩で、新年の挨拶といたします。

一、鳴呼!苦節五十一年戦争に追われ
ふるさとの地に帰れないお前
読谷山役場
読谷村役所
読谷村役場
それは長く苦しい道程であった
お前は戦後・灰燼の中から
復興・再建・発展へと
村民と共に歩み、村民を守り育ててきた
村人達はお前に感謝している
ありがとう、ありがとう
年をとり疲れていても
お前の果たした役割は忘れない
お前は永久に村人達の
心の中に生き続けているのだ

二、嗚呼!遂に村民の夢は実現した
読谷村の自治の殿堂として
米軍基地・読谷飛行場の真中に
誇らしく自信をもって建っている
お前は三代目読谷村役場なのだ
由緒ある座喜味城を腰当に、風水よく
鳳風の鳥として建っているのだ
アメリカ軍にも大和政府にも
読谷村の主人公は読谷村民だと
訴え続け、闘い続けた村民の勝利だ
難産の子はたくましく育つと言う
読谷村の自治・分権・参加
民主主義・平和の殿堂として
村民と共に闘い、村民と共に輝き
未来へとはばたけ

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