読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1997年1月発行 広報よみたん / 11頁

【見出し】三線の始祖 赤犬子(宮)とは

『歌と三味線の昔始まりや 犬子ねあがれの神の美作』
と詩われるように、赤犬子は琉球音楽の始祖、読谷山間切楚辺村が生んだ偉大な吟遊詩人であったと云われ、今からおよそ五〇〇年前に活躍した赤犬子終焉(昇天)の地として名高く、宮が建てられている場所は楚辺赤犬子原と地名がついています。
 赤犬子は唐(中国)から五穀(麦・米・豆・粟・きび)を伝えたという伝承もあり、楚辺区では昔から五穀豊穣の神、村の守り神として崇拝し、毎年旧暦の九月二十日には「赤犬子祭」を催し、神酒と五穀を供え、歌、三線、民俗芸能を奉納して人々の無病息災、五穀豊穣を祈願すると共に、「赤犬子芸能祭」や「赤犬子シンポジウム」などを開き、赤犬子を誇りとし、讃えています。
《宮の建設》
 楚辺区にあっては、終戦まもない一九五三年(昭和二八)に、米軍トリイ通信基地建設に伴い強制的に集団移転を余儀なくされ、故郷を奪われましたが、区民が新たな楚辺区の復興と子孫繁栄を願う心、赤犬子の偉業を継承し、歴史を未来に伝える思いから、赤犬子宮は住民生活の移転の混乱から落ち着きを取り戻しつつある時の、一九五六年(昭和三一)に建設されました。
 当時の金額931ドルもの資金が投じられています。(※この金額は当時においては、瓦屋根住宅一棟が建つほどの金額に匹敵します)
 今日では、県内各地の琉球古典音楽関係者をはじめ、各層の人々が参拝に訪れるばかりか、毎年盛大に開催される「三線の日」(三月四日)には赤犬子宮を中心に、全県下に三線の音が奏でられ、また本村の一大イベント・読谷まつりでは「赤犬子大主前ウンチケー」の儀式を執り行う拝所として、まつりのメインを担っています。
 このように歴史の重みを感じさせ、楚辺区民や村民の誇りとする赤犬子宮も建設されて四〇周年。さらに、戦後の読谷村建設五〇周年の記念すべき年を迎えることから、楚辺区が赤犬子宮の改修計画・整備を行いました。
 改修整備にあたっては推進委員会を発足させて工事に着手(八月二日に起工式)。また工事と併せ、同区の推進委員会では、『かつての中国との進貢貿易で琉球王国の文化・文物は発展してきた』との意味あいから、赤犬子宮に使用する石材にこだわり、中国福建省・恵安県に六人の委員を派遣(十月下旬)するなどして、立派な赤犬子宮を完成させました。

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