郷土の伝統芸能の良さを再確認し、会員各自の持つ特技を発表しようと「第十二回読谷村老人クラブ芸能大会」(読老連主催)が十二月二十日午後、村総合福祉センターで華やかに繰り広げられ、会場を埋め尽くした大勢の観衆を楽しませました。
老人クラブの芸能大会は、『心身ともに健康になりましょう』を合い言葉に、クラブ活動の一環である古典舞踊、古典音楽クラブの発表の場として、また会員相互の親睦と健康保持・増進を目的として毎年開かれ、村内各単位老人クラブの会員らが日頃の練習の成果を披露しているもの。
今大会には古典音楽・舞踊サークルの仲間をはじめ、村内17字から芸達者な老人会員二百人余が出演し、多彩な芸能が展開されました。とりわけ、渡慶次老人クラブが演じた「イサヘイヨー」はお見事そのもの。素人とは思えないほどの素晴らしい演技力は、場内を爆笑の渦に誘い込み拍手喝采。またフィナーレには舞踊サークルの講師・津覇澄子師匠(志扇雅び会)が「高平良万才」を披露し、芸能大会に花を添えました。
なお、読谷村老人クラブ連合会では毎年、「年末助け合い募金」を実施していますが、今回寄せられた募金額二十三万二百円が社協に寄付されました。
貧しさゆえに幼い頃に身売りされ、辻の遊廓に向かう途中に吉屋チルーが詠んだといわれる『恨む比謝橋や吾渡さとぅ思てぃ情け無ん人ぬ架きてぃ置ちゃら』の恨みに満ちた琉歌は有名ですが、この悲劇の女流歌人・吉屋チルーの生きざまとその魅力に迫ろうと、読谷村文化協会(岳原宜正会長)では十二月七日午後、村総合福祉センターにおいて「吉屋チルーシンポジウム」を開きました。
吉屋チルーについては、生地や身売りされた時の年令など諸説あってまだ謎の部分が多く、民話を訪ねると読谷山久良波に生まれ八歳にして仲島に身売りされたというのが一般的とされ、生地については伊良皆、大湾説がある。また和文学者・平敷屋朝敏の著者『苔の下』では「遊女よしや」と描かれ、按司との恋に破れて食を断ち十八歳(一六五〇年~一六六八年)で生涯を閉じたとされています。
シンポジウムの第一部・パネルディスカッションではアナウンサーの金城まり子さんがコーディネーターを務め、国吉トミさんが古屋チルーにまつわる民話を語った後、前読谷村教育委員長の宮平良秀氏が「伝承にみる吉屋チルー」、前沖縄県立博物館長の糸数兼治氏が「古屋チルーの生きた時代背景」、フリーアナウンサーの佐渡山美智子さんが「吉屋チルーの作品性」をテーマに、それぞれのパネラーが波乱に満ちた古屋チルーの生涯や時代背景、乙女の繊細な恋心など、チルーの魅力を語り合いました。
また第二部の舞台表現ではチルーの作品にまつわる古典民謡や創作舞踊が披露され、会場を訪れた約二百五十人の人々に深い感銘を与えました。