プロフィール
『おもろさうし』にも記述がみられる古い集落である。戦後、軍用地に接収されたが、居住地は元の集落地に復帰でき、今日の復興に至った。しかし、未だに軍用地が残されたままとなっている。なお鏡地原一帯は、海を見晴らす景勝の地で沖縄海岸国定公園(平成二年…沖縄県)に指定されている。行政区加入人口は一千二十八人(二百五十五世帯)で、村内では中規模の地区である。
地区づくりの目標
”瀬名波ウガン”からは東シナ海が一望でき、”ノロ”の配置は古く、海神祭も行われ、海との係わりで早くから御願の聖地であったと考えられている。特に、鏡地原一帯には多くの民俗文化資源が分布しており、また残波岬へのアプローチルートでもあることから、この地にふさわしい利用が望まれる。自然・歴史・景観条件を最大限に活かした境地原一帯の利用と、現集落の環境改善、古集落ゆえに伝えられる独特の伝統芸能の継承・発展による格調高いむらづくりを進める。
「御冠船踊り」の里づくり
瀬名波は村内でも特に古い芸能の里であり、今でも数多くの伝統芸能が伝えられている。「御冠船踊り」と呼ばれるこれらの芸能は、瀬名波独特の所作や演出があり、他の芸能とは違った特色を持つ。今後も独自の芸能の発表の場を創出し、後継者の育成を通して「御冠船踊り」の里づくりを進める。
「御冠組踊り」の里づくりに欠かせない 唄三嘆線で頑張る山内秀吉氏
高等学校で数学の教師をしながら、瀬名波の組踊や伝統舞踊などの唄三味線を揖些し、山内秀吉琉楽研究会を主宰して後継者育成にも努める。小さい頃、公民館広場の特設舞台で繰り広げられる伝統芸能を最前列で身を乗り出すように見ていたという。瀬名波の「御冠船踊り」は琉球王朝の流れをくんで全部男性で踊られていた。でもいまの時代女性の踊り手が多く、継承の任にあたっている。踊りも三味線も若手に引き継ぐことが大切と話す。