読谷補助飛行場は、去る大戦で旧日本軍によって強制接収され、終戦後は米軍に軍事基地として占領され続け、さらに沖縄の日本復帰の時点で日本政府に引き継がれ、未登記の国有財産として台帳に登載されました。
以来、読谷村や読谷飛行場用地所有権回復地主会は、米軍と日本政府の厚い壁の狭間で軍事演習に立ち向かい、長年にわたって読谷補助飛行場を取り戻す闘いを展開してきました。その結果、遂に村民は日米両政府の壁を乗り越え、読谷補助飛行場内に自治・平和・民主主義の殿堂「役場新庁舎」を建設することができました。その完成を祝って三月二十二日午後、国や県、村などの関係者や多くの村民が参加して新庁舎の「落成式典・祝賀会」が盛大に挙行されました。
役場新庁舎の「落成式典・祝賀会」では庁舎内で神事が行われた後、記念植樹やテープカット・薬玉割りのセレモニーが行われたのをはじめ、一階の村民ロビーで式典が挙行されました。
式典の席上、山内村長は「今、米軍基地である読谷飛行場の中に、座喜味城を腰当とし、風水よく、自治と平和、民主主義の殿堂として鳳の如く、赤瓦の蒐が聳え立つ新庁舎が実現した。夢のような気がいたします。しかし、村民待望の新庁舎は夢ではなく、現実にその姿を目の当たりにした時、その喜びを表わす言葉さえ見つけることができません」とあいさつ。引き続き、儀保輝和村議会議長や太田昌秀沖縄県知事、沖縄総合事務局長、那覇防衛施設局長が祝辞を述べました。
また、式典では新庁舎建設に関わってきた関係業者や、本村行政に貢献してきた安田慶造前助役や池原恒徳前収入役、丸谷金保元参議院議員(元北海道池田町長)、山口秀和所長(山口児童文化研究所)の皆様方に感謝状が贈られました。
式典終了後は特設会場において盛大に祝賀会が催され、読谷村文化協会や村婦人会、混声合唱団「よみたん」の方々が、琉球古典音楽や琉舞、合唱などの余興を披露し、参加した約二千人の人々と共に役場新庁舎の落成を祝いました。
祝賀会を終えた翌二十三・二十四日には新庁舎の一般公開が行われ、見学には両日とも大勢の村民が役場を訪れ、新庁舎落成の喜びを共に分かち合いました。その翌日(二十五日)からはいよいよ役場業務の移転作業が実施されると共に、三月三十一日の午後五時には戦後五十一年余にわたって郷土の再建・復興の拠点として読谷村行政を担ってきた旧庁舎に別れを告げるべく、村三役はじめ全職員らが出席する中、役場看板の取り外しと記念碑の除幕が行われ、旧役場庁舎の閉庁式を済ませました。
そして、四月一日には新庁舎での業務開始式が行われ、山内村長が電算システムを稼働しました。