戦後の苦しい時代を含め、一九五一年以来、村民の保健活動を担ってきた駐在保健婦の業務が一九九七年三月三十一日付けをもって終了しました。
これは、地域保健法の施行に伴い、県と市町村の業務の役割分担が明確化され、「駐在保健婦制度」を廃止することになったためです。
本村には一九五一年から延べ二十六人の県保健婦が駐在し、46年にわたり、村民の健康管理、保健衛生の向上に大きく貢献されました。
最後の駐在保健婦となった知花玲子さん(波平出身)は三月三十一日、コザ保健所の仲宗根次長、大城看護課長、宮城保健婦主幹と共に山内村長を訪ね、駐在保健婦業務が幕を閉じることを報告しました。
これに応え山内村長は、在任中の村民への健康支援に対する感謝の言葉を述べました。
ここに、46年間の歴代保健婦の氏名を報告し、皆様のご尽力に厚く感謝申し上げます。
尚、今後も村の保健婦で受け持ち地区を分担して保健婦業務は継続されます。
【読谷村駐在歴代保健婦】
昭和26年・与那覇節子
昭和27年・諸見里キヨ子
昭和30年・照屋キヨ
〃 ・伊佐スミ子
昭和33年・島袋秀子
昭和35年・高良ユキ子
〃 ・平良秀子
昭和36年・高良秀子
昭和39年・伊礼竹
昭和40年・久貝貞
昭和41年・中村成子
昭和42年・玉村ヨシ子
昭和43年・永山成江
〃 ・与座祥子
昭和44年・翁長洋子
昭和45年・宮森幸江
昭和46年・照屋キヨ
昭和49年・比嘉啓子
昭和50年・仲西キク
昭和51年・仲宗根トシエ
昭和55年・大田政子
昭和56年・豊里芳子
▼昭和58年
この年より老人保健事業が開始され、大城真悠美さんが村保健婦として採用され、翌59年に知花トモさんが採用される。
昭和61年・城間末子
昭和62年・玉城トミエ
平成3年・金城恵子
平成5年・知花玲子
本村で春季キャンプを張ったプロ野球の中日ドラゴンズ球団から村教育委員会に対して硬球(900球)が贈られていましたが、その硬球は読谷高校野球部や読谷村中学硬式野球部・ゆんたんクラブに贈られることになりました。
その贈呈式が四月四日午後に役場教育長室にて行われ、出席した宮本春正読谷高校校長と同校野球部の当山裕功監督に800球が手渡されました。
〈身障者ホームヘルパーに委嘱〉
平成九年四月一日付けで、身体障害者ホームヘルパーに津波スエさん(長浜二一番地)が委嘱されました。
村民の皆様方の温かい激励をお願いいたします。