読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1997年9月発行 広報よみたん / 6頁

最優秀賞に天久さん ~読谷村婦人の主張大会~ 【婦人の主張大会最優秀作品】「母として働く女性として」天久弘美さん(波平婦人会)

〔写真〕「婦人の主張大会には6人の弁士が堂々と主張を展開し、会場に詰め掛けた大勢の聴衆に感銘を与えました」

婦人の訴えの中から生活に潤いを見出だし、社会的視野を広げよう―――と、平成九年度「第30回読谷村婦人の主張大会」(読谷村婦人会・松田キク会長主催)が七月二十六日午後、村中央公民館ホールにて開かれました。
 会場には村議会議員や教育委員関係者を含め、約二百人余の各字婦人会員らが詰め掛ける中、大会は松田会長のあいさつに続き、当真助役や伊波教育長の激励の言葉を受けて始まり、登壇した六名の婦人は、それぞれのテーマに添って声高らかに主張を展開。厳選なる審査(内容、音声、態度)の結果、「母として慟く女性として」を演題に発表した天久弘美さん(波平婦人会)が最優秀賞に選ばれ、「中部地区婦人の主張大会」への本村代表に決まりました。
【発表者と演題】
◆最優秀賞
・天久弘美(波平)
「母として働く女性として」
◆優秀賞
・仲村渠むつみ(渡慶次)
「子供会の役員を引き受けて」
□松田明美(喜名)
「私の大変身」
□上地美智子(儀間)
「学ぶ楽しさ」
・比嘉安子(高志保)
「夢は必ずかなう」
□伊礼正枝(瀬名波)
「母ちゃん がんばるぞ」

家族そろって食事をする夕食のひととき、それが私にとって楽しく幸せを感じるときです。
 一人びとりがその日を振り返り健康で一日を過ごせたことに感謝をし、語り合う、私達共働きの夫婦にとって貴重なコミュニケーションの時間でもあります。
 私は幼い頃から憶れでバスガイドという仕事につき早二十年が経ちます。その間に結婚をし、そして二人の男の子を出産。現在高校一年生と小学校五年生で、そろそろ自立できる年頃になりました。その間には、数知れない犠牲をはらってきましたし、私自身も幾度となくくじけそうになったものです。
 子供達が小さかった頃のことです。どの親も経験することでございましょうが、私が仕事に出かける準備をすると「お母さん行かないで、元気も一緒に行く」とスカートにまとわりついたものです。泣いてしがみつく息子を、姑にお願いして職場へと急ぐのでした。
 泣きじゃくり、追っ掛けてくる我が子を思う時、「私はいったい何のために働いているのだろう。金を稼ぐため、貧しくても幼い我が子に母親として接することが大事ではないか」と、何度か自問自答を繰り返しながら職場へと向かったものです。それでも、職場へ着くと、母親の顔からプロのバスガイドの顔に変身し、バスヘと乗り込むのでした。
 お客様には気持ちを悟られないように一生懸命、笑顔で振る舞います。子供が急に熱を出しても母親として側に居てやれない、休めない職場の現状です。
 バスガイドとして案内をしながらも、我が子が熱にうなされ苦しんでいる様子が目にちらつき、母親としての虚しさからついほろりと涙することもありました。
 それを払い除けるように笑顔をつくり、声を高々と案内したものでした。
 職場の先輩からは「皆そんな思いをして子供を育てていくのよ、今そんな弱音をはいていては仕事はおろか子育てでもつまづいてしまいますよ。さあ、へこたれず頑張りなさい。」と励まされることも多々ありました。
 現在、県内には二十二万二千人の女性労働者がいて、子育てをしながら働いている婦人もたくさんいます。
 子供を両親に預け、仕事を続けることができた私は恵まれた方で、身近に子供を預かる人がいなければ、保育所に預けなければなりません。しかし、なかなか条件が合わないこともあって辞めていく人も少なくはありません。主人が大変理解を示してくれて、私が早朝出勤の時にはなれない手つきでオムツを変えたり、ミルクをあげたり、いろいろと面倒をみてくれました。 そういった苦労話も今では懐かしい思い出話になりました。
 その子供達も今では自立心の強い子に成長し、長男の通う読谷中学校が昨年、全国中学校ソフトボール大会で三位に入賞しました。それが自信となり、高校でもソフトボール部に入り、忙しく充実した日々を過ごしています。
 次男は「少年野球チームに入り、将来はプロ野球選手になって大きな家を作ってあげるネ」と目を輝かせて話してくれます。
 それぞれ夢をもって生き生きとした子供達の姿を見て、思いやりのある子に育って本当によかったと、それもひとえに主人の理解と姑の協力のおかげだと常に感謝の気持ちでいっぱいです。
 仕事とはいえ、週一回は泊まりで家を空けることもあります。その時には、家のことは主人と長男が面倒を見ている関係上、その埋め合わせといってはなんですが、PTAの役員を八カ年続けて参りました。
 最初のうちは、子供が小さいからとか、仕事が忙しいという理由で断ってきましたが「役員をすると子供が変わりますよ。子供の為にもお願いします」という担任の先生からの一本の電話で、〝子供が変わる〟そして良い方向への変化を期待して、断るにも断りきれず引き受けたのがきっかけでした。それまでは、家庭と職場だけの行き来で地域社会の活動に参加することはほとんどありませんでした。
 しかし今では、それがきっかけとなり、婦人会の役員をし、そして私のような未熟なものが、この名誉ある婦人の主張大会に二度出させて頂きました。それも二十年間ガイドを続けてきた自信と役員をとおして多くの人との出会い、巡り会いの中で知らず知らずのうちに成長させて頂いたと感謝をしています。
 男女雇用機会均等法が施行され、社会進出をめざす女性が増えています。
 私はこれまでひとつの仕事としてバスガイドに従事してきました。この仕事が好きですし、私に適していると思います。もちろん生きていく上で、生活の糧としてもこの仕事を続けようと思っています。私の経験からしてガイドは入社して一~ニ年は訓練したもの覚えたものを口にするのが精一杯で無我夢中なのです。しかし、三~四年と経験を重ねるごとに一層の磨きがかかり、内容的にもより充実したものとなるのです。
 今本当に子育ても落ち着き仕事をするのに心身共により良い条件です。その間、沖縄の風俗、習慣も身につき、それだけあらゆる面からの視野も広がり質の高いガイドができる年齢でもあると実感しています。
 何より安全に気を配りながら、和やかに案内できるようになるのも、やはり経験を重ねて必然的に身につくものだと思います。
 私達の職場でも三十五才定年から六十オに定年が引き上げられ、もっともっとガイドを続けることができます。
 今、女性の地位が社会的に認めれている中で、私も家庭と仕事を両立させ、人間的にもっと大きく成長していきたいと思います。

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