去る九月五日~八日の間、「ジャパンエキスポ97山陰・夢みなと博覧会」と「淀江町石馬八朔(いしうまはっさく)まつり」に参加する絶好の機会を与えられた。
これは、わかとり国体以来、読谷村と交流がふかい鳥取県淀江町の招きによるもので、海を越えた文化交流を繰り広げようというものであった。交流団は岳原宜正読谷村文化協会長を団長に、二十二名で構成された。
五日午前七時、役場前を出発し、午後四時三十分頃、淀江町に到着。さっそく町役場を表敬訪問した後、夢みなと博覧会会場に向かった。鳥取県の歴史・文化・風土を紹介する三面型のパノラマ映画や水と光が彩どる夢みなとスペーシアなどを見学した。環日本海の文化交流の歴史を振り返り、これからの〝みなと〟の果たす役割と可能性を探ろうとする遠大な展望に満ちたコンセプトは大きな示唆を受けた。
時計の針が午後九時を大きく回った頃、沖縄の楽器と三味線・ドラムの共演、「安里屋ユンタ」の合唱の音合わせのため淀江町中央公民館に向かった。玄関を入ると、さんこ節保存会の皆様の「安里屋ユンタ」の歌声が流れてきた。
ご年配、婦人の方々がこんなに一生懸命に頑張っておられる。思いもよらない場面に遭遇し、感動で血が逆流する思いであった。ひととおりのごあいさつを申し上げ、早速音合わせの作業に取り掛かった。
電話や資料で打ち合わせたつもりでいたが、やはうまくいかない。お互いに困惑したが保存会の皆様に音づくりを工夫してもらい、即興に近い状況の中で、どうにか舞台の形が出来上がった。明日の頑張りを語り合い、宿についたときは午前零時になろうとしていた。
六日は前の晩からちらついた雨がとうとうどしゃ降りになってしまった。一行は衣装、楽器、小道具などの運搬、控室のこしらえ、そして舞台リハーサルと精力的に日程をこなしながらも、お客さんが果たして集まってもらえるか不安の色はかくせない。雨はやむ気配もなく、一回目の発表の時間がやってきた。その不安をよそに席数・三百席のふれあいステージは、立ち見の人垣で熱気に溢れ、ぐっとくるものを感じた。
ビデオによる市町村紹介では淀江町と読谷村の映像も流れた。淀江町の躍動的でユーモラスな「さんこ節傘踊り」「壁ぬりさんこ」などに続き、読谷村の演目に移った。「谷茶前」「武の舞」「四つ竹」と軽快に、勇壮活発に、そして優雅に舞台は展開した。衣装、楽器、指笛。地謡の独特な節回しに、食い入るような目と目があった。演技毎にため息にも似た感動の声と、大きな拍手が送られた。次に三味線と三線、横笛、太鼓、ドラム、亊を加えた合同のジョイソトである。エメラルドに輝く沖縄の海、厳しい北風が吹き付ける日本海をテーマに、時には穏やかに、時には荒々しい海をイメージし、音で表現する試みである。エネルギーを一気に爆発させたドラム、叩きつけるような津軽三味線。二つに比べ、どこか哀調を帯び静かながらも底力を感じさせる「たち落し」の音曲。それぞれの音は重なり合い織りなすように大山(だいせん)の山々にこだまし、日本海に響いていった。
しめくくりは「安里屋ユンタ」の大合唱、そしてカチャーシーである。舞台と会場がひとつに結ばれ全演目を終了した。手を握りしめ、語りかける人、衣装に触れながら記念写真を撮る人、踊りの説明を求める人、指笛の吹き方を確認する人………。「ふれあいステージ」はしばらく余韻が続いた。新聞、ラジオの取材、インタビューも活発に行われ、大成功のうちに二回の公演は幕を閉じた。 「これほどの観客が詰め掛けた市町村デーは初めてだ」と森本和夫町長より感謝と労いの、ありがたいごあいさつを頂いた。
荷物をまとめると、一行は石馬八朔まつり前夜祭である「古代食パーティー」に向かった。当初の計画は伯耆古代の丘公園が会場であったが、雨のため宇田川公民館に場所は移された。古代食パーティーは、宇田川公民館成人大学講座で学習・研究された古代食を味わうという粋な催しであった。どんぐり、はす、魚、鯛、にじます、鴨、はまぐり、赤米、果実を食材とした二十種をこえる研究成果の品々が揃えられた。国指定重要文化財「石馬」をはじめ、白鳳時代の彩色壁画が出土した淀江地方の古代に思いをめぐらし、淀江町の皆様との会話も弾み、古代食の味は一行の心をしっかりととらえていた。ここでも舞踊「かせかけ」と「トゥバラーマ」などが披露され、喝采を浴びた。 交流の日程も三日目に入り石馬八朔まつりの当日を迎えた。淀江産業技術高校体育館では「古代ロマンステージ」が催された。
あいかわらずのどしゃ降りであったが、町民が続々と詰め掛けた。特にこのステージでは八朔まつりが豊作を祈願するまつりに合わせて長者の大主的要素を帯びた「かぎやで風」、淀江町が傘の産地であることから「日傘踊り」、石馬が出土していることに因み、馬頭を小道具にする「高平良万歳」など七演目をこなした。
「加那よー天川」の説明の時、「おしどり」が淀江町の町の鳥と聞かされ、緑の深さに驚いた。「あの踊りを見ていると涙が出てきてしょうがなかった。あれは何でしょうね」。一行をご案内してくれたガイドの言葉である。最後に演じた「四つ竹」を見ての素直な感想であった。衣装、音楽、所作、四つ竹の響きなどが渾然一体となって見る人に言いようのない感動を与えるのかも知れない。改めて芸能のもつ不思議な魅力を確認した。
夕暮れの少しの間を惜しみ、前夜祭で行けなかった伯耆古代の丘公国を訪ねた。小高い丘になっている遺蹟を前に、古代にタイムスリップするに十分なたたずまいをみせていた。その公園に、日常よく見かけるさんご石炭岩がニケ所に設置されていた。字喜名の本部砕石さんから贈られた石であった。淀江町と読谷村の交流の証であるその石は、胸をはって力強く構えていた。
雨に濡れた石に触れてみた。「文化は海を渡り交流することによってたくましく発展する」と石は語りかけているように思えた。
晩は最後の日程である出演者交流会に招かれた。森本町長をはじめ、多くの町民の盛大な歓迎を受けた。会場は交流事業を無事に、しかも大成功のうちに終了した充実感に満ちていた。森本町長と岳原団長のごあいさつに始まり、出席者の紹介など、交流会はテンポよく進行した。琉球舞踊と壁ぬりさんこがところを変えて踊られる爆笑の連続で、交流会はいよいよ佳境に入った。初対面の方々が多い中、和気あいあいとした雰囲気は何とも素晴らしい。「いちゃりばチョーデー」の精神が、文化交流を通して実践されたのである。
淀江町に別れを告げる四日目は、爽やかな風が吹き、空は青く高かった。少々の疲れはあったが、それはかえって心地よく心は満たされたものがあった。見送りの関係者の皆様に別れを惜しみ、再会をお誓いし、一行はバスに乗り込んだ。
思えばまたとない貴重な体験に巡り合い、とてつもなく大きな収穫をさせて頂いた。
一寸のスキも感じさせず、それこそ心の底から一行をお世話下さった森本町長はじめ関係者の皆さん、夜更けまで音合わせで頑張っておられたさんこ節保存会の皆さん、「水と歴史のささやきが聞こえる」のキャッチフレーズにふさわしい宇田川公民館古代食講座の皆さん、そして共に舞台を飾った子ども達や全ての淀江町の皆さんには感謝の念でただただ頭を下げるのみである。
この交流で蓄積された財産は、読谷村における文化振興に活かしていくことが、同時にこの企画を全面的にご支援して頂いた読谷村ご当局と多くの村民の皆様へのご恩返しだと胸に刻んでいます。
読谷村文化協会事務局長
長浜真勇