〔写真〕「区民手作りの花壇」、「住宅地緑化・景観作り」原本参照
大木
プロフィール
楚辺と比謝から分かれた比較的新しい集落である。復帰前には、比嘉秀平初代琉球政府主席を輩出している。集落形態は散村であったが、他の地域からの転入も増えて今の密集した居住池となった。現在、国道58号嘉手納バイパス整備事業が着手されており、地区の姿が大きく変わろうとしている。行政区加入人口は一干七十六人(二百七十二世帯)で村内では中規模の地区であるが、字内居住人口(一千九百六十八人)でみると規模の大きい地区である。
地区づくりの目標
国道バイバス整備によって広域交通の流れが移行し、県道6号線との交差点は読谷村の新しい玄関口となる。県道6号線沿いの開発整備及び商業・サービス施設の立地の誘導、並びに国道バイパス沿道にふさわしい用途利用の推進により、続谷村の新しい玄関口となるまちづくりを進める。
読谷村の新玄関づくり
国道バイパスの取り付け構造はバイパスがアンダーバスになることから、ランプによる接続となる。これにともない、県道6号線沿い及びその北側の軍用地の土地利用が重要となる。計画的な開発整備により、拠点的な商業・サービス機能の導入をはかり、街並みづくりと併せて読谷村の新しい玄関づくりを進める。
沖縄の戦後復興に貢献した比嘉秀平氏
一八七五年生まれ。読谷村間切大木出身。貧しい農家に育った。小学生の頃サトウキビ圧搾機で右腕を失う事故にあう。その後早稲田大学に進学、英語を専攻する。教員を経てあと、沖縄民政府翻訳課長を皮切りに官房長などを歴任。全琉統合政府の設立に重要な役割を果たし、一九五二年琉球政府初代行政主席に就任。軍用地問題解決に向け東奔酉走するなど戦後復興に貢献した。