読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1998年4月発行 広報よみたん / 8頁

喜名小 学校創立50周年を祝う~教育の森などを整備~ 喜名誌を発刊

 学校創立五十周年を迎えた喜名小学校(新里紹次郎校長)では二月二十八日午後、同校体育館で「記念式典・祝賀会」を開き、多くの関係者が出席して学校の発展を祝いました。

 喜名小学校は本村の教育発祥の地と知られ、一九四八年(昭和二三年)四月六日に喜名初等学校並びに喜名中等学校の併置校として開校し、輝かしい伝統と歴史を継承してきています。
 五十周年の節目を迎えた同校では、一九九六年十一月に「創立五十周年記念事業期成会」(屋良政信会長)を結成し、具体的な記念事業への取り組みが開始されました。
 その記念事業としては、校旗を新調したのをはじめ、校章碑の設置、記念誌発刊、教育の森や遊歩道を整備するなど、素晴らしい教育環境の整備が行われました。
 当日は、式典・祝賀会に先立ち「校章碑の除幕式」が行われ後、参加者らが校庭裏の「教育の森」を見学。児童が緑と自然に触れ合えるように整備された小高い丘には、遊歩道などが設けられ、その周辺にはスモモやアセローラ、レイシなど数種類の果樹(平良熱帯果樹園=平良良孝さん寄贈)が植えられていました。
 その後催された式典では、屋良期成会会長や新里校長が式辞を述べ、また、児童生徒を代表して運天寛樹児童会長が喜びのことばを述べました。
 歴代学校長並びに歴代PTA会長、記念事業協力者などには感謝状が贈られ、出席した島袋正重中頭教育事務長や松田重信村収入役、伊波清安教育長が、それぞれに来賓祝辞を述べました。
 祝賀会では、同校職員やPTA関係者、喜名校区(喜名区、座喜味区、親志区、ハイランド地域)の方々による余興などが披露され、大勢の人々が、創立五十周年を盛大に祝いました。
 なお、祝賀会の前日( 二十七日)には、同校五十周年を期してシーサー一対の贈呈式(陶真窯=相馬正和さん)があり、そのシーサーは校門柱に据え付けられました。

 喜名区(宇根良雄区長)ではこの程、待望の字誌を発刊したことから、二月二十一日夕、同区公民館で盛大に「喜名誌出版祝賀会」を催し、区民共々に発刊の喜びを分かち合いました。
 同区では、『ふるさと喜名が辿ってきた歴史を次の二十一世紀を担う世代へ語り継ぐことによって、私たち喜名の未来を切り開いていこう』という区民の要請を受けて字誌編集事業が計画され、一九九六年十月に編集委員会(松田栄春委員長)を発足。以来、
(1)文献、資料などにより戦争前のことについてもできるだけ記述するように努めること。
(2)心のふるさととも言える「民話」「伝統」を可能なかぎり採録すること。
(3)環境問題に重きをおく意味から、かつて喜名周辺で見られた動植物についても記録すること。(4)戦争を身近に考えるということ、そして二度と過ちを繰り返してはならないという観点から戦争体験記録をなるべく多く採録する。
(5)移り行く喜名の姿を記録する意味から写真をなるべく多くし、親しく読めるようにコラムをふやすこと。
 を基本方針に編集作業が開始されました。
 発刊された喜名誌はA5版サイズで全四百七十四ページ。本文は第一章ー第十九章までの多岐にわたり、「村(字)の生い立ち」や「くらしの今昔」、産業、教育、医療、文化、スポーツなど、幅広い分野に、その歴史を綴っています。
 喜名は琉球王国以降、戦前まで読谷の地方行政の拠点であり、古くから教育文化発祥の地として繁栄してきました。かつての喜名番所( 読谷山村役場)が置かれていたこともあって、本村の政治・経済の中心地として数百年に及ぶ歴史を見つめ続けた地域、村民の諸活動、情報の発進地と知られています。
 出版祝賀会には、来賓や多くの区民が出席する中、編集委員に感謝状が贈呈されたのをはじめ、同区婦人会や協友会、松竹会の方々が琉球舞踊や民謡ショーなどの余興を繰り広げ、区民共々に字誌発刊を祝いました。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。