本村では、平成7年3月に村内23区全ての「読谷村字別構想」を策定しました。
これは、字というコミュニティーを出発点として、個性的で自立的な「21世紀をめざした村づくり」をめざすもので、字別構想は、①地区の特性と課題、②地区づくりの目標、③地区づくりの施策、④推進事業の四項目にまとめられました。
地区づくりの目標では、各字毎にユニークなキャッチフレーズが付けられており、「広報よみたん」では、その特色ある構想(村勢要覧に掲載) をシリーズで随時紹介します。
比謝
プロフィール
『絵図郷村帳』( 一六四九年)に〝ひじゃ村〟と記される古い集落である。戦後、国道東側を軍用地に接収されたが、ほぼ元の集落に復帰でき字民の協力で復興した。隣接して渡具知の人々が集団居住し、北側地域にも他からの転入者が多く、様々な人々が混在居住している。公民館や村道、排水路などが整備され、また県営比謝団地の建設にともない転入人口が増加している。行政区加入人口は五百十四人(百三十九地帯)で、村内では規模のやや小さい地区であるが、字内居住人口(一千八百五十八人)でみると規模の大きな地区である。
地区づくりの目標
比謝地区は今日の車社会には手狭な居住地となり、また他地域からの人々も混在居住し、コミュニティーが希薄となりつつある。今後、次世代が定住することで新たな地域づくりへ向けた動きが必要である。かつて比謝右京(ウチョー)といわれた逞しさをバネに、近隣の人々と一緒になって、基幹的な道路網の見直し、下水道の整偏などの住環境の改善を進めると共に、住民活動を通したコミュニティーづくりをめざす。
豪力者・比謝右京
琉球の正史『球陽』によると、読谷山郡の比謝村に住む儀間という男は大変な力持ちであり、また勇敢であったといわれる。猛進して来る猪と空手で格闘したり、暴れ狂う馬を取り押さえたりした武勇伝が伝説として残っている。その後、この人なみ外れた豪力が認められ「右京」の号が贈られた。地元の比謝では、この儀間という男を比謝右京( ヒイジャウチョー)と呼んで今に伝えている。