村が海外移住者子弟研修生として受け入れた平良美智子さん(二〇歳) =ブラジル、知花ルシアさん(一九歳) =アルゼンチンの二人の研修報告会が十二月二十五日、役場三階大会議室で開かれました。報告会には、松田重信助役はじめ役場関係者や受け入れ機関など多くの人々が参加しました。二人は、これまで研修してきた琉球舞踊「かぎやで風」や三線、焼き物などを披露し、参加者の喝采を浴びました。また、研修報告のあいさつでは、流暢な日本語で沖縄に来ることの決意や六ヶ月間の研修期間中の楽しいことなどを報告し、参加者に涙や「ミグトヤッサー」と感動を与えました。
私は平良美智子ともうします。プラジルからまいりました。父は西原町出身の二世で、母は読谷村の出身です。
沖縄に来る前は、両親と一緒にプラジル風てんぷらを売るお店ではたらいていました。
沖縄に来る前は本当に心配しました。なぜなら、日本語が全然分からなかったし、その上、両親や友達と長い間あえなくなるからです。しかし、親戚や友人達にはげまされたし、日本語が習え、両親の古里である沖縄の文化や習慣を学ぶ事ができる、このチャンスをむだにしたくないと思い、沖縄に来ることに決めました。
最初は日本の生活に慣れるかどうか心配でした。生まれた国の文化と沖縄の文化や習慣は全然違うので、慣れるまでとても難しかったです。けれど沖縄では沢山の素晴らしい経験をしました。
また、研修で色々な事を学びました。来たときには日本語はあまり話せませんでしたし、読むのもできませんでしたが、いぜんより話す事、聞く事、書く事ができるようになりました。沖縄で三味線も習って、色々な沖縄の歌を覚えました。パソコンのクラスでは色々なデザインやインターネットを学びました。インターネットはとても面白く、Eメールが使えるようになってから沢山友達ができました。
さらに、生け花やかみねんど、エイサー、焼き物、ぶくぶく茶についても学びました。
このように、沢山の素晴らしい経験をしましたが、私にとって一番嬉しかったのは、沖縄に来てすぐ八月、琉球新報の踊りのコンクールで新人賞をもらったことです。ブラジルでは琉球舞踊をやっていたので、沖縄でもっと踊りの勉強をしたいと思って来ました。一生懸命に練習して大変でしたが、指導してくださった新垣満子先生のおかげで素晴らしい経験ができ、かんしゃしています。さらに、もう一つ嬉しかった事は、新人賞のじゅしょうしきで子供のころからの夢だったふりそでを着る事ができたことです。
沖縄で色々な事を学び、今はウチナンチュである事に誇りをもっています。プラジルに帰ったら、私は沖縄での経験を皆に伝えたいです。そして次の研修生に研修のアドバイスをしたり、皆に研修に行く事をすすめたいと思います。また機会あれば沖縄に戻り、勉強したいです。
最後に、読谷村の皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
十二月十八日、創立五十周年を迎えた読谷中学校(当山昇進校長)に軽トラックが届けらました。
これは、喜名モータース(喜名米和社長)が五十周年記念事業期成会( 山内昌源会長)に贈呈したもの。贈呈式では、同社の大城雪子さんから山内会長を介して当山校長に軽トラックのかぎが手渡されました。