読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1999年2月発行 広報よみたん / 7頁

海外移住者子弟研修生受入事業報告会 ウチナーンチュの血が流れていることを大切に【知花ルシアさん】 「沖公連会長賞」を受賞 仲眞朝健館長

 私は知花ルシアです。アルゼンチンから来ました。私は二世です。父は読谷村ざきみの出身で、母はいえじま出身です。
 アルゼンチンでは大学で会計学をせんこうし、まだ一年生でしたが、たとえ大学での勉強がおくれても、また、家族や友達とはなれても、チャンスをむだにしてはいけないと思い、沖縄に来る事をけっしんしました。
 今日は、私が沖縄で経験した事や考えた事について皆様にお話ししたいと思います。
 まず、沖縄の文化や習慣とアルゼンチンの文化や習慣が全然ちがうという事です。
 たとえばアルゼンチンでは知っている人と会った時はほっぺたにキスしてあいさつをします。ここでは、初めて親戚に会った時、キスをしたらとてもおどろいてはずかしがっていました。その時はどうしてだろうと思いましたが、それはお互いがちがう文化の中でくらしているからだという事が後で分かりました。
 また、沖縄に来てからさまざまな事を学びました。日本語、パソコン、琉球舞踊、三味線、エイサーなどです。とくに三味線やエイサー、パソコンは初めての経験でとても興味深く楽しかったです。
 これらの経験を通して私は平良美智子さんという親友をえました。楽しい事も悲しいことも共に分かちあえた事で、沖縄での生活をこれほど楽しくすごし、研修をがんばることが出来たと思います。それに最初は文化や習慣のちがいになれていけるのか心配でしたが、先生や友達、親戚の方々に助けられ、はげましていただいた事にかんしゃしています。
 この研修は私にとってとてもきちょうなものでしたが、研修制度にかんして、一つだけていあんしたい事があります。それは他の市町村の研修生達との交流のきかいをもうけてほしいという事です。他の研修生に会う事によって、お互いにはげましあったり、しげきしあったりする事が出来ると思うからです。
 今回沖縄に来てから色々な事を学び、両親の沖縄に対する気持ちが分かって来ました。
 ここに来てから私の考え方や生き方は変わりました。私の体にウチナンチュの血が流れている事を、今一番大切に思っています。私はアルゼンチンで生まれ、沖縄とアルゼンチンという二つの文化の中でそだちました。二つの文化をもてるというすばらしいとっけんのある日系人として生まれた事にとてもかんしゃしています。アルゼンチンに帰ったら、私はわかい日系人にこう言いたいです。日系人として生まれた事をむだにせず、私達の両親や先祖の大切なざいさんである沖縄の文化や習慣をいつまでも大切に守っていこうと。
 皆様本当にありがとうございました。

※報告書は、原文のまま掲載してあります。

 第二十八回沖縄県公民館研究大会が十一月二十七日に、八重山、石垣市民会館で開催され、同大会において、本村中央公民館長の仲眞朝健館長が永年に渡る沖公連理事としての功績が認められ、個人の部でI〝沖公連会長賞〟の表彰を受けました。
 また、同大会には、本村の各字公民館長も参加し、仲眞館長の表彰を讃えました。

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