人間国宝認定おめでとう 村から2人目の人間国宝 全国の人間国宝104人、内工芸は52人
読谷山花織事業協同組合 総会及び人間国宝祝賀会
読谷山花織事業協同組合は、去る五月三十一日、福祉センターホールに組合員一二〇人余を集めて、平成十一年度通常総会を開催したしました。
総会では県商工労働部工業・工芸振興課課長の池原正治課氏より、「各地の織物の産地にでかける機会が多いが、読谷はいつも元気で頼もしい。昭和五十六年当時伝統工芸センターができたころから一丸となって沖縄を代表する織物にまで育てあげ、そして、このたび、めでたく与那嶺さんが人間国宝に認定されことは大変嬉しいことです。更にサミットに向けて商品開発にも頑張ってください。」とあいさつがなされました。
総会に続いて新垣隆理事長から「人間国宝に与那嶺さんが認定され、これほど嬉しいことはない。当時の池原昌徳村長から花織の復興が図られた。その当時は施設もなく中央公民館や自宅で織っていたが、伝統工芸センター完成した後、引き続き波平・座喜味・楚辺に地域工房も開館し、県でもしっかりした組合組織であり注目を集めています。私たちも与那嶺さんにあやかって頑張っていきましょう」と、織り子の皆さんと決意を新たにしていました。
安田村長は「歴代の三人の村長をお迎えしており、復興の過程を大切にしていきたい。与那嶺さんをはじめ花織に携わる皆さんは三万六千村民び誇りです。今回の国宝認定は村で二人目ということで全国でも他の市町村には見られない偉業です。皆さんのこれまでの地道な歩みがあり、これまで労が報われないこともあっでしょうし、経営は厳しいかと思いますが今後共、協力し、支え合ってより質の高い花織を目指して頑張ってください。」とあいさつ。
続いて登壇した池原昌徳元村長は「皆さんこのスーツはきれいですか?皆さんが作ってくれた文化財です。」と自慢の花織の背広を披露、「貞さんの今回の認定は人間として最高であります。本人にとってもそうですが、読谷の名誉です。ここに貞さんのこれまでの活躍を書いてきました。」と昭和五十一年の県の無形文化財指定以降の数々の受賞の経歴を披露し、花織の歴史、復興当時の様子を感慨深く述べられ、「昔々、琉球王朝時代に長浜港は貿易港として栄え、南方から花織が読谷に伝来し、以来各家庭に機織りがあり、着る物も自作しており、婚礼衣装をはじめ作業着のクルジナー等があったが、紡績の発達で家内工業は下火となっていって、どんどん織り手が減っていった。そんな折り、読谷には花織というすばらしいものがある。絶やしてはいけないと、当時の宮城元信社会教育主事に相談したが、織手は見つからなかった。やっと織るのを見たことがあるという波平の武戸比嘉のおばあさんが最高齢の八十八歳で他に四人のおばあさん方と試行錯誤がはじまりました。当時の婦人会長だった曽根美津子さんに相談し、婦人会の全面的な協力が得られ、南風原の琉球かすりの産地に何度も通った。機織りもそのとき購入してその復興が始まりました。与那嶺さんと私と曽根さんがいなかったら現在の花織はなかったでしょう。」と当時を振り返りました。