読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2000年2月発行 広報よみたん / 10頁

ユンタンジャンチュウであることに誇りを 阿波根ミリアン・良枝

ユンタンジャンチューであることに誇りを   阿波根ミリアン・良枝

 7年前サンパウロ総合大学を卒業後、沖縄県費留学生として、日本語を専攻し、1年間、琉球大学で勉強しました。その時、八重山芸能研究クラブで初めて琉舞に触れました。帰国後、沖縄県人会ビラカロン支部で日本語を教えながら、琉球舞踊を知花智恵子先生(波平出身)から指導受けました。そして、2年前に現場で踊りを習いたいと思って沖縄にまた来る決意をしました。そして、去年の7月から日本語の教育システムと沖縄の文化を学ぶために、読谷村海外移住者研修生を決心しました。
 この研修で学んだことがいっぱいで、私の希望以上にいろんな体験をさせていただきました。
 ヒスパニック文化センターで日本語、パソコン(インターネット)、写真、生け花、折り紙などを学びました。そして他の市町村の研修生と交流もできました。
 読谷小学校で1か月間の研修をさせていただきとてもうれしかった。最初は少々不安でした。日本の教育はとてもきびしいと聞いたことがあったからです。けど、実際研修をしてみると、皆さんがとてもやさしくしてくれました。大城校長先生をはじめ、先生方、生徒たちも仲良くしてくれて、たくさんいい思い出ができました。幼稚園から6年生、各クラスを見学し、授業方法は大変参考になりました。やはりブラジルの教育システムと違って、日本の子供たちはやがて一日中を学校で過ごすのがあたりまえなことなんですけど、ブラジルは半日間しか学校にはいません。読谷小学校では色々なクラブがあって、とてもいい事だと思いました。特に沖縄の文化を大切にしています。こうして、先生方と交流ができて、たくさんアイデアをいただき、大変勉強になりました。
 さらに(今まで)踊りばかりをやってきた私、エイサーと太鼓にチャレンジ、渡慶次エイサーでお盆の時、一日中踊った事が夏の印象でした。島太鼓も初めてで、最初はとてもむずかしかったが、比嘉慶子先生や島太鼓の皆さんがはげましてくれて、どんどんついていけるようになりました。そして、読谷まつりで太鼓をたたき、とてもすばらしい経験でした。
 琉球大学で勉強することになった時、とてもうれしかった。女子寮もなつかしく感じました。日本語教授法、日本語教材研究と音声学などを勉強しました。
 このようにすばらしい経験をして、他国の留学生と交流ができ、大変よかったと思います。
 この研修は私にとって大きな財産です。これからユンタンザンチュであることに誇りをもちながら、帰国後沖縄で学んだことを伝えたいと思います。
 最後に安田村長様をはじめ、役場の皆様、ヒスパニック文化センターの先生方、読谷小学校の先生方、比嘉慶子先生と島太鼓の皆様、琉球大学の先生方、渡慶次青年会の皆様、親がわりをしてくれた都屋有銘のおじさん、末吉のおばさんたち。そして色々とお世話をしてくれて、相談にのり、遊びにつれていってもらった、儀間真智子さん、ブラジル読谷村人会の皆様、大変感謝しております。
MUITO OBRIGADA MUCHAS GRACIAS イッペーニヘーデービル。心からありがとうございました。
【校正済み】

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