読谷は心の故郷 ボレシオ比嘉フロレンシア
沖縄で体験したことを語るとしたら、何ページも書き続けられると思いますが、できるだけ短くします。
この6か月間は「あっ」という間に過ぎてしまい、研修が終わりました。そして、この作文を書き始めた時に、様々なことが思い出されて、書きながら涙をおさえなければなりませんでした。
おじいさんが生まれた読谷村に来て、言葉では言い尽くせないほど感動しました。
何年も前から、日本に留学したかったけど、高校を卒業してから、留学することにしました。それでも、いっぱいなやんだことがありました。半年の研修は、日本語の勉強や沖縄の文化を学ぶことができるけれど、6か月間、家族や友だちと別れて過ごさなければならなかったし、大学の授業に遅れることも心配でした。けれども、とってもいいチャンスだったから、勇気を出して、決心して読谷に来ることにしました。その決定の結果を見ると「沖縄に来て、本当によかった」としか思えません。しかし、申し込みしてから、いろんな問題がありました。例えば、読谷村は三世を受け入れたことは以前にありませんでした。それで、何回も「もうだめだ、行かしてくれない」と思いました。
去年の3月にブエノスアイレス大学に入学し、前期を受けてから沖縄に来ました。
沖縄に着いて、すぐヒスパニック文化センターに通うようになったんだけど、私にとってヒスパニック文化センターは沖縄の文化への入り口でした。実は8月いっぱいに、想像したほど沖縄の文化の中に入ることができました。カチャーシーや三線、陶芸もしました。お盆の時にも渡慶次青年会とエイサーをやって、読谷村青年エイサー祭りにも参加しました。また、島太鼓も始めて、一番好きになった物の一つです。一生懸命練習して、読谷まつりにも参加しました。
9月に入ってから、古堅南小学校で3週間の研修で、日本の教育のシステムや日本の先生の教え方を、アルゼンチンの教育システムや教え方を比較でき、とても勉強になりました。それと子供たちと仲良くして、先生たちとも友だちになって、本当にうれしかったです。子供たちに「フロレンシア先生」と声をかけられて、とてもおもしろかった。
琉球大学には後期から通い始めましたが、最初はとても心配でした。日本語にはあまり自信がなかったし、違う国の大学に入ることや、まして寮で初めて一人暮らしをするのも不安でした。想像以上にたくさん友だちができ、授業も難しいけれど、とてもおもしろいので、頑張っています。
最後に、読谷村長、読谷村役場の方、おばあちゃんになった大湾キヨさん、TIA(おばさん)屋我さん、島太鼓や踊りの先生と先ぱい、ヒスパニック文化センターの先生、渡慶次青年会の人たち、アルゼンチンの読谷村人会。色々お世話になって、本当に感謝しています。
儀間真智子さんは沖縄のお母さんになって、心からありがとうございます。
楽しい時がいっぱいあって、寂しい時もありましたが、この研修はとてもいい経験になりました。
いつまでも、忘れられない、すてきな思い出になると思います。
沖縄は心の故郷になりました。ニへーデービル MUCHAS GRACIAS!
【校正済み】