沖縄ハワイ移住百周年記念式典に参加して
読谷村長 安田慶造
一九〇〇年一月八日、二六人の沖縄県人が初めてハワイヘ渡ってから一世紀の時が流れました。
ハワイでは、ちょうど百年目に当たる二〇〇〇年一月八日、移住百周年記念式典、祝賀会が盛大に開催されました。言葉や文化の壁、差別、戦争等の苦難な歴史を歩んだ先輩方のご苦労は察するに余りあります。既に他界なされた先輩諸氏は今日の繁栄の姿を想像し得たでしょうか。そして今日の記念すべき日を心から喜んでいることでしょう。
今回、沖縄県から各市町村、経済界、文化関係者など約八百人の大訪問団がハワイの地を踏み、百周年を共に祝い、交流し、ウチナーンチュとしての誇りと絆を確認し合う意義ある訪問でした。読谷村からは沖縄県市町村会・議長会訪問団として村長、議長、更に芸能団の一員として座喜味棒保存会のメンバー二十七人が参加しました。
一月七日、那覇空港を出発してから約八時間後ホノルル空港に到着、空港は沢山の沖縄県人の皆様の出迎えでごった返し、私達も村旗を掲げた読谷村人会(読谷クラブ)の熱烈な歓迎を受け、長旅の疲れも一気に吹き飛びました。
一月八日、ハワイ沖縄センターにおいて記念式典、慰霊祭が開催されました。沖縄センターの横には、他の模範と讃えられる沖縄人社会の発展の姿を誇らしげに見つめる「移民の父」当山久三の銅像があります。その隣には「いざ行かん我らの家は五大州」と刻まれた記念碑がハワイの地にしっかりと腰をすえ、まさにハワイに根付いた沖縄人社会の繁栄の姿を象徴しているかのようであります。
午前九時半にはじまった式典には、稲嶺県知事やハワイ州副知事、ホノルル市長、更にはハワイ州のみたらず、ブラジルのほか各地から多くの県人関係者がかけつけ、会場は立見も出るほどの人であふれ、熱気こもる会場での約三時間にわたる感動的な式典が繰り広げられました。夕方からは会場をシャラトンホテルに移し、一五〇〇人の大祝賀会が開催され、座喜味棒をはじめとする芸能訪問団の演舞が祝賀会に花をそえました。
ハワイ州政府と県人連合会は百周年の今年、年間を通じ数々の記念事業を計画、同式典並びに祝賀会はこれら関係事業の幕開けでもありました。
その意味で大盛況の内に終えることが出来たことを関係者一同ことのほか喜ばれていたことが印象的でした。
一月十日、読谷村人会主催の交流会がアラモアナホテルで催され、約百人の皆さんがかけつけてくれました。英語と日本語、そして時折ウチナーグチも飛び交う心温まる交流会は、時の経つのも忘れるほどに盛り上がり、一同感動的な時間を共有することができました。特に二世、三世の皆様の、母村「よみたん」に対する思いは私達の想像以上に熱いものがあります。ご婦人たちの胸には村章をかたどったペンダントが輝いています。自らのルーツを大切にし、心のよりどころにしている姿には誠に頭の下がる思いであり、また、我らの村人会の活発な活動や団結力の強さは現地でも高い評価を受けているとの話を耳にし、実に心強く思いました。
特に今回、座喜味から参加した九人の中高校生たちにとって、遠く離れたハワイの地で「ユンタンザンチュ」としての誇り高き人々との出会いは今後の人生の大きな糧となるでしょう。同時に、今後の読谷村を担う人材として大きく成長してほしいと願うものです。
ハワイという新天地に大きな夢を抱きながらの移住でしたが、それは筆舌に尽くしがたい苦労の連続であったと聞いています。特に一世の方々の血と汗の結晶が今日の発展の姿であると言っても言い過ぎではないでしょう。自らの生計を立てるのに躍起になっていたはずの時代、沖縄が戦争により荒廃し、貧しい生活を送っている状況に心痛め、積極的に救援活動を展開されたという事実とその「恩」をいつまでも忘れてはならないと心に誓うものです。
遠く離れたハワイの地で村人の皆様が活躍されている姿は本当に心強く、誇りに思うと同時に、我々も今以上に頑張らねばとの意を強くする訪問でありました。
数々の感動的な出会いと心温まる交流、ルーツ「よみたん」という大きな力で結ばれている人々との不思議な親近感と確かた絆を感じたがらハワイの地をあとにしました。