私は歌う
都屋婦人会 名嘉元邦子
「よし、やるか。」キュッと帯を締め鏡の中の自分を見やります。髪を結いあげ、化粧の仕上がりを確認し、いよいよ本番です「ユンタンザ歌の会」チャリティーショーの始まりです。あまりの興奮で歌詞を忘れはしないかと、食事も喉を通りません。それでも時は刻々と迫り幕が上がりました。
ここからはもう捨て身です。スポットライトに導かれて、私は舞台中央に進みます。「源河山わちに、あたら花散らち…」と歌い出しましたが、スポットライトがまぶしくて客席がよく見えません。見えないのをこれ幸いと、だんだん自分自身が歌の世界に引き込まれていき、客席から拍手喝采、指笛が返ってきました。これこそ、歌う人にとって最高の時です。
今の私には歌うことは生きがいの一つです。世間では「歌は単なる遊び、娯楽どやる」と軽く見る人もいますが、歌には、喜びも悲しみも救い上げる「いやし」の効果があると共に、人と人の心を結びつける絆ともなります。だから私は歌うことが好きです。
私の母も歌が大好きな人です。いつも、台所や畑仕事をしながら口ずさんでいました。幼いながらも、母の澄みきった声に耳を傾け、母のようにうまくなりたいと思っていました。そんな母が、十六年前、喉頭ガンで声を失い、二度と歌うことができなくなりました。母の悲しさ、くやしさはどれ程だったでしょう。ベッドの上で一人泣いていた姿は、とてもあわれでたまりませんでした。声を失うことが、どんなに辛く人生を失望させるものか、母の様子から嫌という程知りました。
それから数年、私に歌のボランティアをやらないかという話がとび込んできました。「好きな歌を歌ってボランティアができるなんて素敵ね。歌えなくなったお母さんの分まで頑張ろう。」とすぐに「ユンタンザ歌の会」に入会しました。歌の会の活動は、地域の施設を訪問して歌を披露したり、イベントやチャリティに参加したりすることです。メンバーは、看護婦、大工、農業、事務員とさまざまな職業の人達で、忙しい合間をぬって活動しています。私も入会して三年が経ちました。初めは仕事と両立できるかが心配でしたが、いろいろハンディを抱えながらも続けている仲間の姿が励みとなり、それぞれの家族や友人の応援を受けて今日までやってこれました。
慰問先で、身体の不自由な方やお年寄りの方達が私達の歌をきいて下さり、時には手拍子を打って盛り上げて下さる姿を見ると、ますます歌に心が入り熱唱してしまいます。
しかし、人間、いつまでもいい事ばかりが続くとは限りません。昨年の十月、夫が突然脳動脈出血で倒れてしまったのです。生活が一変してしまいました。毎日、病院と職場を往復し続け、気の休まる日はありません。私も気楽に歌のボランティアを続けるゆとりはありません。何度も挫けそうになりました。ある日、鏡の中の疲れ果てた醜い自分の形相にハッと致しました。「これではいけない。スマイル、スマイル。」と自分に言い聞かせて、無理に笑顔をつくり歌を口ずさみ、自らを元気づけました。夫に明るく接し、勇気づけたい一心です。ところが、主人は、人の力を借りなくては何一つできない体なのに、病院から戻ってきて、精神的にもかなり投げやりになっておりました。「病院へ行きましょう。」と、どう話しても夫は首を横に振るばかりです。そこで私は「ヨシッ。この人と一緒に徹底的に病気と闘おう」と決心しました。まず、私は病院のような世話はとても無理だと厳しく告げました。私が留守の時は這ってでもトイレに行く覚悟が必要だというと、夫はそれでいいと言います。やってみよう。寝具に工夫をしたり、トイレの入口につかまるための棒を作りました。けれど初めからこのようなものが役立つはずはありません。シビンで尿をとったり、洗顔をさせる日が続きました。食事は出勤前に一度に作りました。朝は食べさせることができましたが、昼食と夕食は食べ安いようにラップで包みました。けれど帰宅してみると、食事はほとんど食べてなく、目につくのは落ちこんでいる夫の姿でした。しかし、それでも私は一日たりとも職場を休むことはしませんでした。「自分のことは自分でさせよう。」これは最初に夫と約束した事です。夫がわがままを通した分、私も厳しい要求をしたのです夫もよく応えてくれました。今では、ほぼ以前の体になりました。
しばらく歌から遠ざかっていた私は、夫が快方にむかっていくのをみて、ボランティア活動を再開しました。私の歌を喜んで下さる人の姿を再び目にした時、あの苦しかった日々がまるで嘘のように思えてなりません。今主人も「ユンタンザ歌の会」に入り、ビデオ撮りや、舞台セットなど裏方の仕事を引き受けています。私は以前までは、ボランティアは生活や経済的にゆとりのある人がやるものだと思っていました。しかし、それはまちがいです。時間は作ろうと思えば作れます。また、将来、ちょっとした時間でも、何らかのボランティアが出来るような社会システムを作っていく事が出来たらいいなと思います。沖縄のユイマールはりっぱなボランティアだと思います。お隣りの洗濯物をとりこんだり、お年寄りの家をたずねたりするのもりっぱなボランティアです。もっとボランティアのあり方を広げて考えてもいいのではないでしょうか。
今年、「ユンタンザ歌の会」は百三十万円の収益金を読谷村社会福祉協議会へ寄付することができました。チャリティーショーを見に来て下さった方々、たくさんの企業からの協賛金など、皆様方の暖かいお心ざしのお陰です。これからも仲間と共に、周りの方達に感動を与えることができ、そして、地域のお役に立てる様に、私は歌い続けたいと思います。