読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2001年12月発行 広報よみたん / 12頁

海を越えた 読谷の文化 韓国済州道・読谷民俗芸能交流会

海を越えた 読谷の文化
韓国済州道・読谷村民俗芸能交流記

 去る十月八日から十一日の間「読谷村民俗芸能韓国済州道公演(第四十回韓国済州道漢拏祭読谷村民俗芸能公演)」に参加する絶好の機会を与えられた。
 読谷村と済州島との交流は、
平成十二年八月五日から十九日の間、済州道の芸術団・美術家を迎え盛大に開催された「韓国済州道・沖縄県読谷村文化交流祭」に始まります。村立美術館における美術交流展も村内外にすごい反響を呼び起こし、文化センター鳳ホールでは、静かな中に秘められた力強さ、優雅にして躍動的な舞台芸術が次々と展開され、私たちに大きな感動を与えました。。
 チョコリと呼ばれる民俗衣装で登場した済州道の皆様との公演終了後の懇親会では、二十一世紀に羽ばたく子供たちにダンス・ワークショップを通じて交流の大切さを体験させ、国際性を培って頂き、演奏者同志が三線とジャンゴとを交換し、変わらぬ友情を誓い合うなど密度の濃い交流であったことは言うまでもない。
 さわやかな風と共に来村され、ほのぼのとした香を残した済州道の皆さんとの出会いは新鮮でかつ強烈であり、読谷村側の出演者メンバーの脳裏には早くも済州道の空や海、風と草木の雰囲気、香りがパノラマ状に広がり、誰からともなく「済州道公演を実現させたい」という声が出た。
 そこで、沖縄県に対し、芸能交流団に読谷村を加えてほしいと申し入れするなど精力的にその実現に頑張るが、結局読谷村単独で公演に参加することで腹を固め、沖縄県国際交流課のホン・ジソンさんを仲介に済州道側と交渉を進める中で、積極的で期待の込められた返事が届けられた。つまり済州道第四十回漢拏祭に参加できることになり、公演実行委員会が立ち上げられ、公演準備が整っていった。
 実行委員会は、字古堅(十三人)、字座喜味(十三人)、字波平(六人)、字瀬名波(十三人)、行政側から二人の応援で構成され、男性二十二人女性二十五人、計四十七人の大所帯となる。年齢構成は十九歳から六十三歳までの幅広い年代層で、東京勤務にもかかわらず自主的に参加した波平の青年もいた。字波平では海外公演は今回が初めてで「東門から海外へも出したい」という波平区長の長年の夢がかない若者に意欲を与えた公演となった。
 古堅には、浜千鳥を復活し稽古の終始を見守ったお二人の先輩の応援参加もあり家族的な雰囲気の中、芸能公演の旅が始まる。
 第四十回漢拏文化祭は十月六日から十二日まで開催される祭りで読谷村側の公演は、①十月九日、西帰浦天地淵野外舞台②十月十日、済州市神山公園野外特設舞台での二回公演であった。
 構成:長浜眞勇課長 振付・指導:津波琴江先生による舞踊劇「瀬名波ガーの浜辺」は読谷村の地域に伝わる民俗芸能、字瀬名波ー真福木のヘイチョー、字波平、字座喜味ー棒術、字古堅ー浜千鳥と創作振付した舞踊で構成され、前段でお互いに支え合い、たくましく生きる人々の力強さを(棒術)、中段で浜千鳥と浜辺の湧泉で髪を洗ううちに釣り人と出合う龍宮の乙姫の様子を(浜千鳥と創作舞踊)、後段では龍宮の邦で歌や踊りで歓待される釣り人、そして釣り人と乙姫がめでたく結ばれるあでやかな場面が(真福木のヘイチョーと創作舞踊)展開される。
 二日間の公演を成功させたい、沖縄の心、読谷人の魂をしっかりと韓国の人々へ伝えたいという思いで、出発前日まで熱心に稽古が行われた。
 勇壮活発に棒術を演じるかたわら、龍宮のイメージ作りに水色の布をはためかせ波になった波平・座喜味の男性陣のあのやさしいまなざしは印象的でした。
 一行は、八日午前六時役場を出発し、那覇から二時間二十分で韓国ソウルへ到着。その日はソウル市内見学で、広大な敷地にある殿閣が栄華を物語る「景福宮」、韓国の伝統的な生活文化が見学できる国立民俗博物館、東大門市場など見学し、よく沖縄と似ているところが多いと言われていたがそのことが実感できた。
 九日、ホテルを出発し済州道へ渡る。
 空港にはWELCOME TO JEJUの横断幕での出迎えと済州道文化振興課課長より歓迎の花束もあり、各々の気持ちの中で公演をしっかりつとめようという思いを再認識する。
 西帰浦市は、空港からバスで一時間四〇分程にあり、髪結・化粧はバスの中での作業となり、公演場所に着いてみると朝から大雨で、公演開始時間も二転三転し気をもんだが、予定通り七時の開演で幕は開いた。
 入羽・出羽の場所も稽古と異なる条件であったが、公演団のメンバーは演技をつつがなくこなして行った。そこは滝の水が流れ、川に敷かれた踏石を伝って行く大自然に囲まれた野外会場で演技ができたこは読谷における文化創造に大きな宝物として私の心にいつまでも残ることでしょう。
 十日の済州市公演にあったては、ホテルで準備を整え、六時に出発した。途中バスに六時三十分に公演開始の電話が入り、会場に着くなり息つく間もないままステージに上がった。観客は五〇〇人程の準備された椅子は埋まり立ち見があった。演目の一つびとつの変わり目のポーズに拍手が送られ、手応えのある舞台であった。堂々と自信をもって六〇分の演技を終え締めくくりはやはりカチャーシーであった。当初遠慮がちであった観客も熱を帯び舞台狭しとカチャーシーが展開された。古堅の儀間トヨさんの頭に泡盛をのせた演技は圧巻であり喝采を浴びた。九月二十四日に鳳ホールに公演団として参加した芸術団の皆様も激励にかけつけてくれ特産品の交換の後、一人びとり握手を交わし別れを惜しんだ。
 夕食会場に文化振興院長の康さん、芸術監督の金さんそして道庁職員三人もあいさつにこられた。
 その日は、おそい夕食となったが二日間の公演を無事終えた皆の顔は達成感に満ち溢れていた。また、公演期間中に誕生日を迎えた三人へ座喜味青年会の皆様の粋な演出によるパーティーもあり、ほのぼのとした気分で宴会が続いた。
 今回の公演は、四つの字が主体的にチームを組み、それぞれの字の芸能をベースに六十分の創作劇を生み出したこと、読谷村単独で海外公演をしっかりとこなし村民レベルで参加したことはこれまでにあった公演スタイルとも違い今後の読谷村における文化活動、文化交流の新しいスタイルを形成できたこと、そして同時に済州道サイドに読谷村のインパクトを与えたことは、地球規模で交流する時代にあって大きな意味があった。
 構成する四つの字の位置も北部、中部、南部というようにバランスがよく稽古の期間も含めて目標に向かって協力し、友情を育んだことは読谷村における人づくり、村づくりの弾みとなることでしょう。
 村ご当局、議会議員の方々をはじめ、地域の村民の皆様には色々な形でご支援ご協力を頂き貴重な体験をさせていただきましたことに心より感謝を申し上げ、報告にささせて頂きます。
 神谷みつ子(読谷村役場)

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