読谷村の文化財(10)座喜味親方寄進灯籠
座喜味城に奉納された灯籠である。方柱の石に「道光二十三年癸卯三月吉日 奉寄進副使 座喜味親方」と刻まれている。
道光二十三年は中国年号で、西暦一八四三年にあたる。沖縄では地方文書や厨子甕の銘書からすると明治中期頃まで中国年号が使われている。
ここに登場する座喜味親方とは座喜味盛普である。唐名は毛達徳(後に毛恒徳に改める)で、護佐丸の子孫「毛氏」に属する。盛普は読谷山間切の総地頭(領主)を務め、後に琉球の国政をつかさどる三司官の職についた人物である。
盛普は道光二十二年五月から翌年の二十三年四月までの約十か月をかけ、徳川家慶が徳川幕府第十二代将軍についた慶賀のため江戸参府(いわゆる江戸上り)に行く。無事に副使の大役を果たし、帰国できた感謝の念から、領地である座喜味城の拝所に灯籠を奉納したのであろう。なぜか灯籠には帰国した四月ではなく、三月と刻まれている。
(文化振興課 仲宗根求)