日本語がほとんど話せなかった私
祖慶 光
皆さん、こんにちは。アルゼンチンから来ました、祖慶ワルテルと申します。
五月から沖縄にいますが、着いた時日本語が全然話せませんでしたのでとてもさびしくなっていました。でも、沖縄へ日本語を習いに来ましたので、一生懸命日本語の勉強をしています。私は来る前に「日本語に全力を集中して遊んでばかりいないで、沖縄の人から出来るだけ習いたい」と考えていました。
ヒスパニック文化センターで日本語や、写真、三線、書道、陶芸、英語、墨絵などを習いました。喜瀬先生、真壁先生、モラレス先生、比嘉先生、冨着先生、仲村先生、ケン先生。先生方は親切に教えてくれて、本当にお世話になりました。
一番好きな事は三線です。三線を弾く時とっても楽しいし気持ちいいし、それに方言を習うことが出来るからです。
ヒスパニック文化センターに入った時はまだ自分しかいなかったので、スペイン語で全然話せませんでした。今考えるとそのおかげで日本語が話せるようになりました。
だから日本語の授業が始まった時はとっても大変でした。私は先生に一生懸命日本語で話しかけようとしました。先生の教え方はとてもいいです。ですから先生に大変お世話になりました。
六か月間はおばさんの家に住んでいました。そこでも日本語が話せなくてとっても大変でした。おばさんと話していた時、わかるようにと手を動かしていました。今はこの事を思い出すとおかしく思います。ある日おばさんがばんごはんを作っていた時、僕はまだ日本語の勉強をしていました。それで、おばさんが「今食べる?」と聞きました。僕は「いえいえ、頭がまだ良く働いているから、大丈夫あとで自分で作るよ」と答えました。でも二時間後まだ頑張っていたので、おばさんは僕のためにばんごはんを作ってくれました。おばさんは僕の事をいつも心配してくれて、心から感謝しております。
読谷村ではいろいろなイベントなどに参加して、担当の小橋川さんからはいろいろな事を教えてもらい、お世話になりどうもありがとうございます。
最後にこれだけは言っておきたいのですが、沖縄の方々が色々な大切な事を教えてくれましたので私の考え方はけっこう変わりました。そのことをうれしく思います。つまり、ちょうど良い時にたくさん習えましたので、この先はアルゼンチンで日本で習ったことが役に立ちます。この六か月間の間に僕を見守ってくれた人達に心から感謝しております。読谷村には色々お世話になりまして本当にありがとうございました。
平成十三年十一月二十二日