私の先生は家の光
私は大正十四年十二月に、この世に生をうけ満七十六歳をこえました。
この家の光は、大正十四年五月に発刊され七十七年間、連綿と続いている農協のベストセラー月刊誌であります。
教職にあった八十六歳の叔母は、「家の光をよく読んだよ」と話されます。
私は昭和六十一年三月、定年退職と同時に農業のノウハウを勉強しようと、自らの意志で、読谷村農協女性部に入部し、現在に至っております。
私と家の光との出合いは、その時から始まりました。内容が豊富で、読物・生活・農業・JA・時代にマッチした、高齢者福祉問題・YO!Check!読者のページ・家の光のページと、カラーで読みやすく、バラエティーに富んだ、素晴らしい読物です。
私には、三男四女七名の子供達がいます。料理下手な私は、沖縄料理の、チヤンプルーだけの、質素な食事でしたが、家の光お料理のレシピを参考にし、だんだんと料理の腕前も上り、我が家の食卓も賑やかになり、子供達は、「お母さん農協女性部に入部してよかったね」と誉めてくれるようになりました。
裁縫や手芸が好きな私は、生地活用をよくやります。夜鍋をしながら、ミシンをふむ事もしばしばです。
生活の記事に掲載された草木染めを読み「そうだこれをヒントに、さとうきび染めをやってみよう」と思いつき始めることにしました。我が家は、沖縄の基幹作物さとうきびの生産農家です。きびの葉っぱに、付加価値をつけ、挑戦したのが、平成五年頃でした。試行錯誤のくり返しで、ようやくTシャツに染め、中国麻や絹にも染めるようになりました。
読谷村の特産品紅イモに着目し、食だけでなく衣にも発展させようと、やる気をだしたのです。今私が着ていますこのもんぺは、紅イモ染めです。まだ未熟ですが、自分で染め、自分で縫って着るので、オリジナルだと、自負しております。
小学校の総合学習の中に、さとうきび染めや、紅イモ染めの指導にいく時もあります。
家の光の普及にも力を入れ、女性部長時代に、年金友の会の総会で、ユーモアをまじえながらPRすると、「部長の話に惚れた」とすぐ事務局に申込んだ方もいました。
ちゃぐりんは、村内の小学校へ配布しています。四月から全国の小中学校で、総合学習が始まります。農業は命を育む尊い大切な仕事で、食は命、農業体験で、生産と消費を学ぶ、心の教育ができたらと思うこの頃です。
JAゆいなの非常勤理事になった時より、三誌をずっと購読しています。地上は夫が、家の光は私、ちやぐりんは孫へと、それから農業新聞も。
平成九年一月十八日に、ユンタンザ十八番市をオープンし、毎週土曜日と日曜日に、本村特産の紅イモや農産物・加工品・みそ・タレ・ポーポー・紅イモパイ・紅イモ餅など、女性部の手作りコーナーを設け、販売しています。リサイクル・草花や手芸品など、そろえています。どうぞ皆さん、いらしてください。お待ちしています。
私はこれからも、長生きの質を高めてくれる、家の光と共に、楽しみながら、ケセラセラと、笑いがあるから人生は楽しいと、教えられました。私の先生は家の光です。片手に家の光、片手にコインカレンダーをキャッチフレーズに、心身共に健康に留意し、一生感動・一生青春で明日に向かって、生きていきたいと思います。わが人生に悔いのないように。
※県代表として「全国家の光大会」で発表した方々
第4回 山内よし子
第5回 仲宗根ハル
第8回 古堅保子
第9回 安田トヨ
第11回 松田ツル子
第14回 池原美枝子
第21回 仲宗根ハル
第35回 知花恵子
第40回 上地峯子
第41回 仲宗根悦子