読谷の文化財(12)
阿麻和利の墓
阿麻和利が葬られていると伝わる墓が楚辺の古堅小学校の北側にあります。岩穴を利用した墓で、現在、前面はブロック積みになっています。
昭和十四年の新聞記事にはここが阿麻和利の墓で、地元では「屋良墓」と呼んでいることが報じれていますが、脚光をあびることはなかったようです。
阿麻和利は十五世紀中葉に勝連按司として活躍し、「護佐丸・阿麻和利の変」を題材とした組踊に登場することでも有名です。
一説によると阿麻和利は屋良城主の大川按司の子供と言われています。ついには勝連按司となり中山国王の地位を脅かす程の実力者となりました。やがて中山軍に滅ぼされますが、その最期は中山軍に勝連を追われ、生まれ島の屋良へと逃れました。屋良からもさらに逃げ、とうとう読谷のこの墓近くのウェンミ毛(現在親見原という小字が残る)で捕らわれ、斬られたという筋書きです。ウェンミとは降参するという意味です。将来、専門家による墓内部の調査が待たれます。
文・文化振興課 仲宗根求
※訂正とお詫び
先月二月号の喜名焼古窯跡の八行目の一八七〇年とあるのは一六七〇年の誤りでした。訂正してお詫び致します。