読谷の文化財(13)
連道原貝塚
連道原貝塚はニライビーチ南の高志保海岸に位置し、そこは釣糸を垂らすのに絶好な岬状となっています。
七世紀から八世紀の遺跡で、この頃の沖縄では食料の多くを野山での狩りや木の実採集、海での漁労でまかなっており、貝塚が残される時代です。
連道原貝塚の発掘で、ひょっこりと唐(現在の中国)銭の「開元通宝」十二枚が出土しました。海外交易の走りかと思ったりもしますが、今のところ古銭だけの発見で他の海外文物がみられず「開元通宝」は外来人によってもたらされたものと考えた方がよさそうです。
さて、この外来人の候補としてまず日本本土(奈良時代)の遣唐使船一行が考えられ、彼らが沖縄島に立ち寄り、連道原貝塚人に水や食料を所望し、そのお礼に銭を渡したか。それとも直接、唐(中国大陸)の人々が来島することがあったのか。今後の発掘調査で明らかにされていくでしょう。
文・文化振興課 仲宗根求