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2005年1月発行 広報よみたん / 7頁

銘苅君、人権作文で優秀賞

銘苅君、人権作文で優秀賞

 読谷中学校三年生の銘苅宗弥君が全国人権擁護委員連合会主催の第二十四回全国中学生人権作文コンテスト沖縄県大会において「基本的人権の重要性をよく理解した」として優秀賞に輝きました。
 十二月十日、米須良成校長に伴われ石嶺助役を表敬し優秀賞受賞を報告しました。
 石嶺助役は、「昨今の厳しい社会状況の中で人権意識の向上は最も大切なこと、家庭・学校・行政が連携していくいいきっかけになります。」と受賞を称えました。
 銘苅君からは愛楽園訪問で感じたことを報告しました。その内容については以下に作文を紹介します。

人権のもつ意味
 読谷中学校 銘苅宗弥

 「人権」の意味を辞書で調べてみると「人間が生まれながらにもっている生きていくうえに必要な、自由、平等などの権利」と書かれていました。普段、人間が生活している中で最も大切で身近に感じられるべき法律でありながらぼくはあまり興味をもって考えたことはありませんでした。しかし、ある事をきっかけにぼくは人権について、深く考えさせる機会をもらいました。それは平和学習の為に国立療養所沖縄愛楽園を訪問したことでした。
 ぼくらは、愛楽園訪問にあたり事前学習をしました。ハンセン病、テレビのニュースなどで何度も耳にした言葉でしたが深く理解していませんでした。学習を進めるうちに、明治期以来およそ一世紀にわたり「らい病予防法」体制のもたらした患者に対する、差別と隔離のおそろしさを知り、人権というだれもがあたり前にもっている権利さえ主張できなかった多くの患者さんがいることもわかってきたのです。愛楽園を訪問する時ぼくは、とても複雑な思いでした。愛楽園には今まで世の中から、しいたげられて心に傷をおった方々がたくさんこの愛楽園でくらしています。ぼくらの訪問をその方々がどう思うのだろうか、そして、どう接したらいいのか、など色々な事を考えていたからです。
 愛楽園へ向かう道、とても山奥にある事にまず、びっくりし、そして施設の中にはスーパーや病院、美容室などすべてそろっていてそこで生活する方々は、ここから外へ出なくても生活できることにおどろきました。愛楽園では、入所者のおじいさんから色々な話を聞くことができました。ハンセン病が発病した頃、その病気は強い伝染病と世の中の人は思いこみ、患者を隔離するようになり、それは患者本人ばかりでなくその家族も世の中の差別を受けるようになったそうです。そのため、その家族もまた自分たちを守るため、患者との接触をさけ家から排除する形となり自分は家族からも世の中からもみはなされたのだと話してくださいました。ここで死んでも家族の仏だんにさえ入れてもらえない人たちもいる。これが現実なのだと聞かされたぼくは胸がつまる思いがし、この方々のかかえている問題の大きさに言葉を失いました。そして、最初にびっくりした愛楽園内にすべてそろった色々な施設の意味を知ることができたのです。ハンセン病患者の多くはその後遺症やいまだにすべて消え去ることのできない差別や偏見と闘っているのです。すべての誤解がとけるのにはまだまだ多くの時間が必要とされているのではないかとぼくは考え、入所者のおじいさんが言った最後の言葉を胸にかみしめていました。「あなたたちのおじいさん、おばあさんの時代の一部の人たちの中にはまだハンセン病に対しての誤解が解けていない。」ということです。
 愛楽園訪問を終え、帰ったぼくは、平和学習の中になぜ、国立療養所沖縄愛楽園訪問があったのか分かったような気がしました。
 戦争がない世の中だけが平和だとはいえないのではないでしょうか。戦争が起きたときも世の中で大きな事件が起こった時もいつもぎせいになるのは弱い人々なのです。
 人が人として生きていく上で最低限の人権が守られ、人が平等に生活でき、偏見や虐待などがない世の中が本当の意味の平和な世の中なのです。そして、それが本当に人権が守られているということなのではないでしょうか。人権が、しっかり守られている世の中にするために今、ぼくらにできることそれは、過去に起こったハンセン病問題のように、事実から目をそらさず、次の世代へしっかり真実を伝え、戦争のように人が人として生きる権利さえうばわれる世の中をすこしでも変えていくことです。
 人種や世代をこえ、人としての思いやりを持つ事を忘れないでいることこそぼくらにできる小さな一歩なのかもしれません。

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