読谷の民俗芸能3
組踊(3) 賢母三遷の巻
「賢母三遷の巻」は、字古堅に伝わる組踊で、一名「豊松の按司」とも呼ばれ、いわゆる孟母三遷物語を組踊として仕立てたものです。古堅で初めて上演されたのがおよそ安政年間と言われています。首里の座喜味殿内に務めていた新垣忠則(古堅)が座喜味殿内の台本を復写し、同じ頃読谷山殿内に務めていた上地某(古堅)と二人で仕上げたようであります。
組踊の内容は、幼い子を残して亡くなった夫に代わり我が子を育てるために、母親は、住む場所を三度も変えて立派に子どもを育てるという、教育をテーマにしております。
初めは野原に住み、その次に、市場に住居を変えますが、息子は一向に学問に身が入りません。三度目に、学校所の隣に移り住んだところ息子千代松は勉学に励みます。その様子を母親は頼もしく思い喜びます。母子は、生活を支えるために、母は織物を、息子は薪を売ります。息子はそんな苦しい生活のなかでも学問の道を怠りません。おりしも、領地の状況を見分するため、母子の家の近くを通りかかった豊松の按司の目に千代松の頑張っている姿がとまり、千代松は、地頭職に就く、という物語です。
全体をとおして人の情、生き様が随所に散りばめられており心安まる組踊に仕上がっています。
現在、子供たちを取り巻く社会、教育環境が厳しさを増していますが、この組踊は親子、家族、教育を考える上で格好の素材といえるでしょう。
音曲は、十一曲使用されていますが、古堅と別の台本は一曲だけ異なる曲があります。母親が「私は織物を織って売るので、あなたは読書をなさい」と息子に語りかける場面で「枠(機織の道具)に糸をかけてお願いしましょう。一人息子千代松が千代に栄えますように」と踊りますが、使用される曲が古堅は「七尺節」、別の資料は「本嘉手久節」になっています。
名獲市字宮里、宜野座村字松田、南風原町字兼城などに伝承されていますが、古堅では戦後、昭和四十七年(戦後復活上演)、昭和四十八年、昭和六十一年に上演されました。
文・村立歴史民俗資料館
長浜真勇