読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2005年7月発行 広報よみたん / 13頁

読谷の民俗芸能4 組踊(4) 手水の縁

読谷の民俗芸能4
組踊(4) 手水の縁

 名護市許田の泉にまつわる「手水」の恋物語は後世の人々の心をとらえました。紀行文、琉歌、組踊の素材となり、ジャンルは多岐にわたっています。平敷屋朝敏(一七〇〇~一七三四)は「許田の手水」のロマンスをもとに組踊「手水の縁」を創作しました。しかし、公式の場では上演されることはなかったようです。
 あらすじは、山戸が花見の道すがら波平玉川に立ち寄ったところ、玉津が髪を洗っていた。山戸は手水を求める。玉津は困惑するが、とうとう手水を上げ二人は再会を約束する。二人の密会が玉津の親の知るところとなり家来に玉津を打ち首にするよう命じる。急を聞いた山戸が駆けつけ「恋の感情は人間の自然の姿であり世の習いである」と家来を説き、許してもらう、という内容です。知念浜における玉津のつらね、山戸の懇願の言葉は説得力があります。
 「手水の縁」は大変人気のある組踊で、県内に幅広く分布しております。読谷村では字長浜・楚辺・瀬名波・大湾に伝承されています。
 沖縄の商業演劇は明治四〇年頃になると歌劇が盛んに上演されるようになります。その波動は読谷の地にもしっかり伝わっていました。字長浜が大正十一年、字楚辺が昭和三年に「手水の縁」を歌劇で演じています。間の者を挿入し笑いをふりまきながら観客にサービスしています。
 字長浜ではせりふを「クチユン」と称し、いわゆる組踊口調ですが、玉津の「つらね」の部分を「文」と称しています。音曲は、川平節、道の島節、みるく節、十七・八節をそれに節名不詳二曲を合わせて六曲です。
 字楚辺ではせりふを「按司クトゥバ」「首里クトゥバ」、つらねを「文クトゥバ」「文」と区別しています。「文クトゥバ」「文」はおそらく「泊阿嘉」などで状文を読み上げる場面から出てきたと思われていますが文学的で美しい表現です。組踊、歌劇を研究していく上で貴重な言葉です。
 平成十二年、平敷屋朝敏生誕三〇〇年を記念する一環として、鳳ホールにおいて組踊「手水の縁」をもとに創作された小林愛雄作「バナナの蔭」と字楚辺の歌劇が上演され好評を博しました。
  文・村立歴史民俗資料館
         長浜真勇

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