読谷の民俗芸能6
組踊(5) 大川敵討
「大川敵討」は読谷村字渡慶次、字喜名を含め県内二十八か所に伝承している人気のある組踊です。一名「忠孝婦人」「村原」の題名で称され、大川按司の頭役村原の比屋とその妻乙樽が主役です。物語は、「大川按司の女按司(ウナジャラ)の葬式の日に悪臣谷茶が近隣の按司をそそのかし、大川城を攻める。乙樽は、捕らわれの身になっている若按司を取り戻すため、乳母に扮して城に乗り込む。かねて夫村原と示し合わせたとおり谷茶を城外におびき寄せ仇討ちを果たす。」という内容です。上演時間は、三時間に及ぶ長編で実演家の間でも全編を通しての上演の機会は少ないようです。それだけに地域における上演は、芸能をとおした共同体の心意気を味わう瞬間です。
見どころはいくつかありますが、よく抜粋で演じられている乙樽が谷茶や下臣の満名・石川と堂々と渡り合う糺の場面です。女性が主役となる組踊は別にもありますが、この乙樽の存在は異彩を放っております。音曲も多彩で歌と歌の間にせりふを入れるなど絶妙な構成となっています。
次に泊という間の者(マルヌムン)のせりふ「イチャリバチョーデー」に興味が湧きます。「命どぅ宝」(尚泰王が詠んだ琉歌の四句目)同様、いつ頃から使われていた言葉であるか関心を寄せていたのですが、文献資料としては、この組踊が古い気がしております。「大川敵討」は、久手堅親雲上の作といわれていますが、一八三八年の尚育王冊封式典の余興として上演されています。泊のせりふがそのままだとすると「イチャリバチョーデー」の言葉がその頃からあったこととなります。
三つめに、物語の背景を眺めてみましょう。大川城は屋良城、安慶名城、北谷城と諸説ありますが「やがて喜名村頼い島でもの」という乙樽のせりふからすると読谷一帯も組み込まれています。
字渡慶次は、戦後字高志保に事務所があった頃と読谷沖映で一部上演していますが、本格的には昭和四十八年以降、五年毎に上演しております。台本資料も印刷製本され、後輩への継承が着実におこなわれています。
文・村立歴史民俗資料館
長浜真勇