読谷の民俗芸能12
組踊(11) 矢蔵の比屋
この組踊は題名に首をかしげます。「矢蔵」は人名で「比屋」は位階を表します。「矢蔵」は高い建物、武器蔵の意味ですが、作者はどういう意図を込めたのでしょうか。
あらすじは津堅田、棚原の両按司は、矢蔵の比屋に滅ぼされる。津堅田の若按司山戸、棚原の若按司虎千代と母親は運良く逃れるが、虎千代と母親は隠れ家に潜んでいるところを捕まってしまう。矢蔵は虎千代を金武寺に預け、母親に言い寄るが母親は隙を見て逃げ出す。しかし、ある老夫婦の宿に泊まっているところ、盗賊に襲われ殺されてしまう。虎千代は母親会いたさに金武寺を出るが、途中、母親の墓の前で老人に会い、母の最期を知る。虎千代は再び自分を狙ってやってきた盗賊を退治し、さらに山戸や家臣らと力を合わせて矢蔵を討ち取る、という内容です。
この組踊の特徴は、討つ側、討たれる側という対立構図に終始することなく、盗賊を登場させ、物語を膨らませる工夫をしていることです。子供に会う道中に盗賊のためにあえない最期をとげた母を思う虎千代の心痛が観客にせまってきます。つぎに、仇討ちで兄弟、姉妹、主人と家来という組み合わせは他の組踊にもありますが、二人の若按司が共に仇を討つのも目新しいです。間の者、盗賊、田舎の老夫婦が劇中でうまく絡み合い変化に富んだ組踊です。全編を通して義理、人情、礼節が語られていますが、竹千代の母のせりふ「玉や砕けても光ある習い、竹は焼けるとも節や失なはん」はその極めつけでしょう。組踊は、人間を描いた物語であることがよくわかります。
矢蔵の比屋は、最後には捕らえられますが、幕内に入るときの悪あがきが勧善懲悪の象徴を見る思いです。
「矢蔵の比屋」は、県内十数カ所で演じられていますが、読谷村内では字渡慶次に伝承されています。渡慶次では戦前「大川敵討」と共に盛んに演じられましたが、沖縄戦で上演が途絶え、一九七八年に復活され、一九八三年・一九八八年に続けて上演しました。
文・村立歴史民俗資料館
長浜真勇