読谷の民俗芸能 32 舞踊(13-2)上り口説、下り口説
「上り口説」「下り口説」の衣装は、黒紋付に白足袋を履き、白い手巾を頭に前結びにしめます。九月にご紹介した「前の浜」も頭には手巾を前結びにしますが、棒術を演じる場合などは横に結ぶのが一般的です。舞踊と、力技の違いなどを含めて結ぶ方法、形には民俗上の慣習があるかも知れませんね。
「下り口説」はチーグーシと呼ぶ竹の棒を持って踊ります。沖縄の組踊や舞踊では、チーグーシを持つことは「道行き」を表現する約束事なのです。その点において「上り口説」で扇子を持つ意味をもっと見つめなければならないと思います。
「下り口説」も振りについては、写実的な所作が多いです。「仮枕」(一番)、「伏拝で」(二番)、「立ち別る」(三番)、「走い入りて」(五番)、「押し添いて」(八番)などはその典型的な振りでしょう。
字宇座には、囃子が入る「下り口説ベーシ」が伝承されています。五番のハヤシに「いまめの舵」があり、舞踊「加那よー天川」のハヤシにも「ハルヨンゾヨイメーヌカジハルヨーフニ」とあります。この「イメーヌガジ」の解釈が色々議論されますが、「面舵いっぱい」という意味も中間に入れてはいかがでしょうか。また、三番の歌詞中の「ぎょやの浜」は稲荷川河口に向い合っている「行者の浜」といわれ、チョンダラー・ニンブチャーが沖縄に渡る拠点の場所であったようです。
さて、読谷村文化協会では、平成8年に「のろしと汽笛で陸と海が一体になる」というキャッチフレーズで残波岬において「口説探訪」を実施しました。残波岬は、“おもろ”にも歌われたように沖ゆく船の航海安全を祈願する選ばれた場所であったこと、また、近代期以降出嫁や移民のために船上の人になった親族を、煙をたてて見送った場所であったことによる雄大な発想からでした。残波岬を取り込んだ「上り口説」「下り口説」には、様々な歴史・民俗が背景となっており鑑賞の手引きにしたいものです。
国文学者で歌人の折口信夫は沖縄戦で行方不明になった友人をしのび「那覇人」と題して和歌八首を発表しました。
○沖縄を 思ふさびしさ 白波の 残波の岸の まざまざと見ゆ(一首目)
○さ夜なかの 午前一時にめざめつゝ しみじみおもふ 渡嘉敷のまひ(八首目)
「渡嘉敷」とは、商業演劇の渡嘉敷守良のことです。
文・沖縄藝能史研究会会員
長浜 眞勇
写真説明 字宇座の「下り口説ベーシ」復活に向けたけい古風景