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2007年12月発行 広報よみたん / 15頁

読谷の民俗芸能33 舞踊(14) 浜千鳥(チジューヤー)

読谷の民俗芸能33 舞踊(14) 浜千鳥(チジューヤー)

 「チジュヤーヤハマヲティチュイチュイナー(浜千鳥は浜辺でチュイチュイ鳴いているよ)」というハヤシとともに、人々に高い人気のある踊りのひとつが「浜千鳥」です。
 旅愁に満ちた音楽は、旅に出て遠く離れた故郷、また親・兄弟や、恋人をしのんで歌われ、清楚な雰囲気で踊りが展開されます。
 明治20年代に中毛芝居で玉城盛重が振り付けたといわれます。衣装は頭に紫の長巾を後ろ結びにして長くたらし、帯を使わずに紺地がすりの着物を「ウシンチー」(着物を下帯の前方に押し込む着け方)という沖縄独特のスタイルです。振りは、女性だけで踊る祭祀(さいし)舞踊の特徴である”こねり手””おす手”といった踊りの基本形が取り入れられています。一人、三人、四人という組み合わせで踊られそれぞれに浜千鳥が浜辺でたわむれる様子を連想させます。
 四番まである歌詞は、一番から三番までは一連の旅の旅情がつづられ、四番だけは言葉遊びのような歌詞になっています。
「馴れし面影は旅までもつれて夜々に手枕の夢のしげさ」と入れ替えたと伝えられている、と話す研究家もおられます。歌詞の点でもう少し触れますと、一番で「我親(ワウヤ)」を「ワヤ」と歌いますが、三番の「アマ」の部分が気になります。『琉歌集』(島袋盛敏著)には、男性が恋人を呼ぶ場合は「あれ」、逆に女性は「あま」と呼ぶと説明されています。私は一番とのつながりで「アンマー(母親)」を「アマ」と歌っているのではないか、と考えたりしますが皆様はいかがでしょうか。
 いずれにしても海をへだててひとつの月を眺めていることが内容になっています。「奄美大島では二三夜待ちといって、二三夜の月の出るのを待って旅に出ている身内のものの幸せを願ってきた。旅に出ている人もこの同じ月を眺めて故郷の人を思う約束になっていた」ようです。(『歴史を語る沖縄の海』(新屋敷幸繁)音楽の「浜千鳥節」は『野村流工工四』(明治二年)のあとに編さんされた『俗風工工四』から掲載されておりますが、踊りは「千鳥節」「千鳥踊」などの名称であったことから節名の呼び方、漢字の当て方など、研究の必要性も感じています。「浜千鳥」は、とにかく人気のある踊りで、読谷村のムラアシビの定番になっています。字古堅、字大湾は四名の二、三グループで編成し、見ごたえのある演出で踊っています。

文・沖縄藝能史研究会会員 長浜眞勇

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