読谷の民俗芸能35 舞踊(16) 作たる米
古くから長浜を中心にして読谷地方で生産された米に「読谷山コーヂャーメー」という品種があります。長浜の古老の間では、「南蛮貿易時代に船の乗組員が種子を持ってきた。さっそく、種子を蒔いたところたいへんな豊作となり、首里王府の献上米として納めた。」と口承されています。
「作たる米」は、米どころ長浜を象徴する芸能ですが資料、記録などがないため、いつ頃発生し、どこから伝わったのかわかりません。明治四十年の「琉球新報」には、各村の得意の遊芸として字長浜は「ツクタの前」と記載されています。「作たる米」は村芝居などのしめくくりの演目として必ず上演されました。 歌詞は、八番までありますが、一番から三番までは芋に関する内容で、四番から八番までは米の収穫を謡っています。音楽については、野村流の工工四に「作田米節」という楽曲がありますが、長浜の地謡とは節入れ、旋律が若干異なります。又、「スンサーミー」という節名で「作たる米」と同じ歌詞で謡い踊られる「エイサー」「ウシデーク」芸能が沖縄各地に分布し、奄美の島々でも「作たる米」がうたわれています。これらも長浜とは異なります。
衣装と踊り手の人数は時代の推移とともにかわってきています。現在、伝統工芸である読谷山花織の打ち掛け、ズボン、脚半を用いています。以前は当時の普段着である「クルジナー(黒色衣)」と呼ばれる筒袖の短衣にやはり読谷山花織の打ち掛け、脚半で演じた場合もあったそうです。踊り手も二列縦隊の八名でしたが、昭和の初期頃から演じる場所の広さに応じて決めるようになりました。前列が太鼓を打ち、後列は腰に鎌をさします。
振りは勇壮活発で、踊り手は足、腰の鍛錬が要求されます。①左右の足を交互に軸にし、左右に体を半回転させる。②左右に飛びはねる。③片足をもう一方の足のひざまで上げる。④常に「スウッ」という掛け声を発することなどを基本に構成されています。これらの基本技を主体にして、歌詞の内容を直接表現的に踊ります。③の所作については、伊江島の「ペン島」「赤木名節」にもみられ、関連性について興味が湧きます。左右に飛びはねるさまは、収穫を終えた農村の喜びであり、稲をかつぐしぐさで後ずさりする場面は、土に生きるたくましさがみなぎり圧巻であります。
文・沖縄藝能史研究会会員
長浜 眞勇