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2008年4月発行 広報よみたん / 13頁

読谷の民俗芸能37 舞踊(18) 貫花・南獄節

読谷の民俗芸能37 舞踊(18) 貫花・南獄節

 読者の皆様には今月も”四つ竹踊り”にお付き合いをお願いします。
 読谷まつりで毎年踊られる「貫花」は明治以後に創作された踊りで当時は「貫花小」と呼ばれていました。元々古典女踊りに「貫花」があったことによるのですが、いつしか古典女踊りは「本貫花」、「貫花小」を「貫花」と呼ぶようになったのです。
 この踊りは、花を糸に通した貫花をもって踊るところからその名称で呼ばれています。前半は、武富節で貫花をみずみずしくあしらい、後半の南獄節で帯にはさんだ四つ竹を取り出してカチカチと鳴らしながら軽快に踊ります。
 「貫花」も流派によって違いが見られます。例えば、前半の武富節で手踊りがあるか、後半の南獄節で両手を交互に上下に振る、また、前で両手を交差させ、内から外に広げていく動作があるか、などです。その他微妙な違いは随所に見られます。
 「貫花」で他の舞踊に見られない振りは、小道具である貫花を「ゆえれ童」(ほらもういなさい童よ)でスウーと落とすところです。しかし最近では、群舞で踊るようになり、いったん首からはずした貫花をもどす場合が多くなりました。「ゆえれ童」のゆという言葉は、庭鳥などにえさを与える場合にも使われます。貫花の糸の色は、赤白半分づつ使用されていますが、赤い糸は男女の縁を象徴しています。それで「赤糸貫花や里に打ちはけて」と歌うのです。着付は、頭に手巾を前結びにし、着物を右片袖抜きに着け、白足袋をはきます。
 「貫花」は、字楚辺、字宇座に伝承されていたようですが、伝承年代や経路がはっきりしません。字宇座は四人で踊ったといわれます。字宇座と字楚辺は型がほぼ似ていたという興味深い話もあります。また、字喜名には「四つ竹」の名称が残っていますがこちらも詳細はわかりません。
 さて、字渡慶次には、戦後まもなく振り付けられた「南獄節」があります。現在、青年会の若い世代がおらが村の伝統芸能として誇らしく引き継いでいます。男女打組み踊りで、男女が交互に縦列に並び女性が四つ竹をもち、男性は手踊りです。チョンダラー役二人が太鼓を打ちコミカルな演技で観客を湧かせます。字渡慶次の事例は、地域の伝統芸能を振興する上で大きな示唆を与えていると思います。
 今年の一月号で、字伊良皆の「花風」の演目があることを紹介しましたが、名護市字屋部には花風節にのせた「四つ竹」があり、女性二人、男性一人の男女打組み踊りです。字伊良皆の「花風」の復活の手がかりになるかもしれません。また、南城市知念字知名には「仲里節」が伝承されています。こちらは紅型の着物を羽織って踊ります。
 
 文・沖縄藝能史研究会会員 長浜 眞勇

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