読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2008年7月発行 広報よみたん / 18頁

村制100周年 村ぷちメモ 読谷村役場の移り変わり

 初代役場庁舎 喜名番所
 琉球王府時代に王府の公事連絡の中継所ならびに行政の要として置かれた喜名番所は、1897年の「沖縄県間切島吏員規定」により間切役場と改称され、1908年に読谷山村役場に変わります。最初の役場は木造瓦ぶきで本棟は1829年に建築されたと伝えられます。その後、役場は沖縄戦で焼失しました。

 二代目役場庁舎
1946年に読谷山村仮役場をコザに設置し、沖縄民生府に帰村の要請をくり返しました。村民の切なる訴えにより、波平と高志保の一部に居住が許されると、600人余の村民で編成した「読谷山村建設隊」を結成し、村の再建に取り組みました。また、戦災で荒廃した人心を一新し、村の再興を願って、村名を「読谷山村」から「読谷村」に変更、役場を波平に移転しました。

 三代目役場庁舎(現役場庁舎)
 1987年7月「読谷飛行場転用計画」を策定し、その転用計画に基づき、1990年1月には「庁舎建設委員会」が設置され、本格的な新庁舎建設に取り組みます。1994年8月に那覇防衛施設局に「庁舎建設用地一時使用」を申請し、1995年6月に日米合同委員会で建設用地を合同使用することが合意されました。そして、全国で初めてとなる、米軍基地内に「自治と平和、民主主義の殿堂」役場庁舎が誕生しました。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。